「鬼レズはマッハで走る」に思う

 昔のサイトの再録サイトを独自ドメインまで取って立ち上げたわけですが、なんで今さらこんなものをやってるかというと。「要望が多かったから」の一言に尽きます。特に若年のフェミニスト。「話にはちらちら聞いていたんですが、つっちーさんが鬼レズなんですね」と、しみじみ言われたりして。すでに過去サイトを置いていたジオシティーが消滅して1年以上経ちますし、気になったことを参照しようがなかったみたいですね。(すぐにグーグル様に聞いてみたりすることがデジタルネイティブ世代だなぁと思います)

 んで、ワタシは自分の必要だと思う必然と好奇心に駆られて「東京レズビアンバーガイド」をシリーズで同人誌にしているのですが(シリーズその3がまだ残部多いので誰か買ってください)、それは未来へのアーカイブとしてやってました。ワタシが死んだ後でも紙の本がしかるべきところにあれば、誰か今はまだ産まれてもいないかもしれないレズビアンの研究者がいつか見てくれるのではと。でも、このところの若い人の話を聞いていたら、同時代の参照性も大事だよなぁと。

 ワタシが若いころから言われていたのが「レズビアンの活動はいつも更地」。過去の参照がなく、イチから切り開かなきゃいけないことを自嘲してそう言われていたのですが。まあ、ワタシが活動を始めた90年代から四半世紀が立っているわけだし、悪しき先例も含めて参照するところがあるのも悪いことではないのではないかと。正直、レズビアンの活動の中でフェミニズムがここまで退潮してしまったことは「退歩」であると個人的には思っています。(と、マイルドな書き方を覚えた鬼レズ51歳)

 幸か不幸か、腰の据わらない活動スタイルを貫いてきていたので紹介できることはかなり多いと自負しております。

 このサイトもかつての「レズビアンはマッハで走る」のように消滅する日が来るでしょう。それでも同時代のレズビアンたちやその他の人たちが多少参照してくれればいいなと思いつつ。

(「鬼レズ」廃業したんじゃないのー?と突っ込まれそうですが。結局、この二つ名はどこまで行っても付いて回るのを痛感しています。ちょっとフェミっぽいとこなら若い子でもそれなりに知ってたりするし、何より出会い系でバレると逃げられるんですよー。ホントに。と、古い感じのオチを付けないと気が済まないのが旧世代)

パンツ(下着)が乾ききらない季節

梅雨ですね。じめじめして永遠にジーンズの乾かない呪われし季節!

洗濯しても部屋干しせざるを得なくて部屋の片隅で細菌の繁殖する気配を感じます。ので、オキシクリーン使ったり煮洗いで繁殖を元からたたきます。外に干せる梅雨の晴れ間が来るとホッとします。で、その梅雨の晴れ間の外干しですよ。隣のアパートに男(たぶん)が何の憂いもなくデカいトランクス干してる。見ると「チッ」と舌打ちしてしまう。私は実家離れてこのかた下着を外に干したことありません。やっぱり下着泥棒は怖いじゃないですか。

下着泥棒って「盗まれた」という物的被害もあるんですけど、(おそらく)性的なことが目的で盗んでる怖さもあるし。「ここに女が住んでいる」と特定されただろう怖さもある。

なので快晴の中、堂々と道路に向かって下着干してるのを見かけるとけっこうな確率で舌打ちしてしてしまう。

別にそこのパンツ干してる男性が悪いわけではなくて、女物(に見える)下着を盗む(だいたい)奴が悪いに決まっている。だけど、目の前で清々しくパンツ干してる人間の方を暗い理路で憎む(とまでは言いすぎだけど)。この頭の中の暗い短絡した考えの筋道は間違ってると分かっているのに不意に自分の中で起動する。

もう15年かそれくらい前に田舎の大きな家で暮らしている高齢の女性が、やはり清々しくおへそまでありそうな大きな綿パンを干しているのも見たことあります。やはりこの時もうらやみましたが、あの暗い情動とは違う。「私はいつになったらパンツ泥棒におびえずにすむのか」という内省の方が大きかった。

で、梅雨ですよ。微妙に乾ききってない下着をはく季節。ボーイレングスのグレーとかなら外干しいけるんじゃないかと逡巡しつつ内干しする季節が来ました。

追記:派手なパンツをはきがちなゲイ男子がジムや外干しでパンツ盗まれるのもよく聞く話ですが。なんか少し「怖さの質」が違うような気がするんですよね。

英語例文を丸呑みできないが

ちょっと前の投稿ですが。そこに「もう例文を丸呑みできない」と書きました。

「世情不安と英語学習」http://onilez.net/2022/05/31/%e4%b8%96%e6%83%85%e4%b8%8d%e5%ae%89%e3%81%a8%e8%8b%b1%e8%aa%9e%e5%ad%a6%e7%bf%92/

要は人の外見に言及しすぎだし、とても性別役割規範が強いし、異性愛なのは自明の世界観。まあ、あまり心地よくはない。

英文法ドリルの例文を「強制異性愛反対!」とつぶやきつつ怨念の力でコツコツとすべて書き換える勢いでノートに書き連ねていました。もう、1周目をコンプリートしてノートを頭からめくりなおして思うのは「結局、私の中にも『違う偏見』があるだけじゃね?」と。

セールスマネージャーを女性にしたり、男性が家で料理をするように書き換えるのは良いのですが。例文の中ではダイク(レズビアンのもと蔑称、いまは少しポジティブな単語)はビールを飲むし、バイクに乗るし、酔って床で寝る。大物ドラァグクイーンは高笑いするし、新人ドラァグクイーンは大物に心からお願いしないといけない。ステージの上では二人とも一晩中踊る。ゲイがおしゃべりしてばかりなのは私でもどうかと思った。

なんかもう、これはこれで新しい偏見を再生産してるに過ぎなくて。友人には「コンテンツとしてまとめてみたら?(鬼レズ英語例文集的に)」と言われましたが。そういうのは「ネタがマジになる」というものなので、ひっそりと自分の学習にだけ役立たせたい。

そして、私の偏見の最たるものは「She/He はぺろっと丸呑みできている」ことですよ。このあたりは自分の性別やその在り方に疑問のないシスジェンダーだなと思います。

追記:でも、私の作った例文「失政は市民を殺す」は本当だと思いますよ。

世情不安と英語学習

 はろー、エブリワン!(沈痛)

 「魔女ワーシェンカのその後」http://onilez.net/2022/05/24/魔女ワーシェンカのその後【配信切取】/で書いたように、2月末は不安にさいなまされていました。

 正直、世界中で常に戦火はあるけれど「ロシア」は地味に国境を接しているので怖かった。初期は西方だけでなくこちらにも全面展開するパターンもあるのではないかとプルプルしてた。なんなら中国が漁夫の利を狙って蠢動するのではと疑心暗鬼になった。

ロシアも中国も同性愛者に厳しい。と、暗いことを考えて。戦況が膠着しかけている今では笑われそうですが「やべえ捕まるかも」と真剣に考えた。それで当然行きつくのは亡命とか難民とかですよ。今さら「レズビアンではありません」とか、顔も名前も出して活動していたからホントに無理で。レズ狩り第一波で捕まって施設入り(ならマシですぐ殺される)しそうだし。そこまでいかなくても「転向」迫られそう。(50代レズビアンの「転向」って具体的に何かというのはありますが)

自然に「いつかあるかもしれない亡命のために英語勉強しよ」って思いましたよ。

で、私の英語ですが、30年くらい前にTOEIC受けて500点くらい。今や惨憺たるものですよ。友達に教えてもらったクレイジーセールで安く買った「ロゼッタストーン(英語学習ソフト)500」が難しくて後半くらいからほとんど勘押し。(同時に買ったキクタン500はコンプリートして、まだ地道に単語帳作ってます)

という体たらくなので、「これはもしかして基礎文法やらないと、どうにもならないやつ?」とAmazonでテキスト買ってやってみたところ。五文型(SVOCとか)からあやしくて、メソメソしながらもうすぐ終わるところです。で、高校英語にステップアップ……とはならなくて、「もう一周やらんと覚えんじゃろ」と腹をくくって新しくノートをもう一冊買いました。

(余談ですが、学生の頃は参考書も文房具も買ってもらい放題でしたが、今は地味に出費がつらい。フリクションペンの芯は何であんなにすぐなくなるのだろう)

と、2月末のウクライナ侵攻のすぐあとから勉強始めたので、もう3か月。あれこれ試してみたけど、私には中学英文法を(例文を書き替えながら~これについてはまた別の記事書きます)コツコツやるのと3センテンス英語日記をこれもまたコツコツ書くことかなあ。やっぱりもう頭が固いので与えられた英文を丸呑みするのは厳しいです。なんか、「自分の中から出た言葉」でないと学べなくなってる気がします。厳しい!

それにしても、私の知人友人は英語が堪能な人が多いのに、学習法だの教材だの勧めたり口出しをほぼしてこないので大した自制心だと思っています。

 

百合とBLのクィアベイティング性について(その1-②)【配信再録】

 そういう風なことを踏まえるとちょっと面白いのと怖いのとのの両方両面があって。ずっと動きを追っているのが二丁目の元々レズバーだった「Ancor(アンカー)」。百合ブックカフェみたいな感じに変わって営業するようになったんです。「百合の聖地」とまでは言わないんですけどなんか結構界隈で賑わってて……。

 ちょっとあのいつの間にか一枠終わってたので。えーと今15人。結構今日来てんね。もう一枠行こうと思うんですけど。もう本当うちさ、こういう誰も得しない話題が多いので。お茶とかも来ないしね。えっと、どこまで行ったっけなんか……。

 界隈で位置が危ういなと思ってて。あそこをやってるのってagit系列で。二丁目に「百合の小径」とか、「Lロード」とか、くそダサい名前が付いている小路があるじゃないですか。あそこのちょっと南からの入り口の左側に「agit」ってあって。けっこう前からあるお店。あの系列で「艶櫻」とか、Aの頭文字付いてるレズビアン系のお店ってだいたいあそこ系列なんです。なので「Ancor(アンカー)」もAなんですよ。で、そういうところがあるから、「バ美肉寄り百合」とかも(当事者が)許容してるみたいな風に取られるのがちょっと怖いなっていう。

 さんざん「バ美肉寄り」(への悪口)言ったけど、当事者が当事者のために描けばいいってもんでもなくて。

 私が結構好きなマンガで森永みるく、さんってマンガ家さんが描いた。「百合姉妹」の頃の「くちびるためいきさくらいろ」とかね。その後「ガールフレンズ」とか別媒体で描かれて。名作描かれたんです。(作者は)めっちゃノンケなんですよ。めっちゃノンケのお姉さんなんですよ。でもね、そういう人もちゃんとね。ちゃんとまともに、まともって言ったら言葉は変なんですけど。目配りしてキャラクターを掘り下げて書くと、別にノンケだろうと関係なくて。当事者だからちゃんと書けるってわけじゃない。やっぱりこれは作家さんの技量なんだなって。(注:リアルタイムの雑誌で読んだので、ものすごく過大評価しているかもしれません)

 別にLのためのLによる表現ばかりが良いものでは決してない。というのはワタシの揺るがぬ意見ですね。

 多かれ少なかれ「百合」って女性同性愛表象をどうしても消費しちゃってるんですよ。それはどういう形で消費してるのか、誰を対象にして消費してるのか、っていうことで幅があって。そして読者それぞれに受け取り方が変わってくるんじゃないかな、と思ってます。

 私はわりとさっき言ったLのための表現に振っているものを高く評価しがちなんですけど。Hかどうかよりも。まあ、こっち(H)は最近そこまで興味ないんですけど。まあ……、あのー……読んでますよね。昔ね「百合姫ワイルドローズ」っていう別冊があって。それはエッチだけ、短編だけ、で集めてる、っていうのがあったんです。別冊です。それを「資料です!(キリッ)」と言いつつ毎号買ってました。今も本棚にあります。(注:数年分の「百合姫」は研究者に譲ったのに)

 で、話は戻るんですけど。「ファンタジーと現実を混同するな!」というわりに混同する感じの消費者、コンシューマーは当然いるんです。けれど混同するも何も百合という表現の歴史を辿っていくと中興の祖の「マリア様がみてる」あるわけですよ。で、さらに源流をたどっていくと吉屋信子さん。吉野信子大先生ですよ。

 パートナーと養子縁組したからね。もうガチレズですよ。(注:上記の研究者いわく「同性婚したい」と手紙に書いて、相手に「そういう目立つのはちょっと」とかわされている、とのこと)遺族によってきわどい手紙は処分されたのではといわれてますが。愛好者には「そもそも百合の祖はガチでした」っていうことを私は声を大にして伝えたいですね。

 まあ、ここで百合の話はひと段落、なんですけど。(配信の)タイトルにも書いた。あのBLの方の話。

 これ構造が百合と非対称なんですよ。BLって、その起こりからして百合と違っていて「LのLによるLのための表現」、「LLL」ではなく、の「GGG」ゲイのための表現を起源にしてはないですよね。って昔は「やおい」とか言ってた訳ですけど。そうとう大きく違うところです。

(吉屋信子についてのコメントが来て)あ、こんばんは少女小説の大家です。大家ですよ。うちにも「屋根裏の二処女」がありますからね。ちょっと「花物語」は手放しちゃったんですけど。

 で、BLって言うか「やおい」ってイチからGGGじゃないんですよね。やっぱり女性がその何でしょう……。男性と女性だと、現代的なパワーバランスがあるので。(女性では)実現しえないものを男性同性愛の表象を使って表現していく……みたいなのがあったと思います。私の本棚に一冊だけ、昔の「JUNE」があるんですよ。昔の「JUNE」ってレンジが広いですよね。クソみたいな小説もあれば、ロンドンのゲイライツの活動家が出てくる小説もあったりして。なんか昔の「JUNE」は懐広かった、みたいな感じですね。だけど、これもGGGからじゃなくて、(非当事者が)その表象を、これも当然、「百合」と同じく消費してるんです。

 元々、当事者が界隈にいなかったのもあって、もしかしたらちょっといたのかもしれないですけど。あんまり認識されなかったのもあって、性的消費をしてるっていう意識がちょっと低いんですよね。その低さってなんでしょう。

 これは私の私見なんですけど、糊塗するかのようにきれいに塗って、「私たちはそんなHなだけじゃない、歪んだ形で一方的消費してる訳ではないですよ。ちゃんとした作品(鑑賞)ですよ」みたいな。取り上げられ時にいわゆるポリティカリーコレクト的に良い(とされる作品)ばかりが取り上げられるきらいがあって。それが昔のよしながふみの作品であったり、雲田はるこの作品であったり。まああれ(よしながふみの「ジェラールとジャック」)も(未成年の)男娼を買うところから話が始まってるので、本当にポリティカリーコレクトかって言ったら……。最終的には二人の合意、お稚児さんとお客ではなく対等な立場で、と話は終わるんです。

 でも、「この界隈はそんな下品なものじゃないですよ。こんないいものもありますよ」っていうふうに提起されるものが(優等生な)まあそういうものばっかりであって。

 実際、「試し読み無料!」みたいなウェブで売れてる漫画って全然違うじゃないですか。もう、酔っぱらってるところに付け込んでほぼ強姦とかなんか。あと百合では少ないけれども「オメガバース」とか「サブ/ドム」とかの話がすごく多いなっていう感じがして。それは私からしたら(同性愛表象で異性愛をなぞる?のは)どうなんだろう(グロい)って思うんですよね。

 で、そういうふうな……ちょっと倫理的にまずいんじゃないの?っていうBLについて、誰か警鐘を鳴らしたりとかする人っているのかなって?と思うんですけど。界隈に嫌われるだろうからまあ言わないのかなと。

 あと何でしょう。百合でね。あんまりひどいことを描かれたら、私たち、「私たち」って急にね、主語が大きくなりましたけど。わりとレズビアン傷つくじゃないですか。

 で、百合ファンダムでは創作してる人、消費する人、実は視野の端にね、レズビアンって目に映ってると思うんですよ。だから定期的に「百合とレズは違う」みたいな論争が起こって。「あの、それもう二十年前から、その前からやってない?ちょっと勘弁してくれる?」みたいなのが繰り返されるわけで

 でも、BLだとそのゲイの姿ってほぼ(消費の視界に)ないな、って。

 ゲイでBLに言及する人って基本的になんか肯定してる人がなぜか多くて。っていうのも多分当事者ゲイからBLが視野に入る人って好きで視野に入れてる人が多いんだと思います。なので、あの界隈まあ良くない言葉ですけど「腐女子」に嫌われたくない。一緒に楽しく消費したいっていう人が多いからそうなってるんじゃないかなって。私はちょっと思ってるんです。

 それと、やっぱり(BLを)作ってるのは何といっても界隈女性ばっかりなので、ゲイからしたら、なんか変なこと書かれても、あんまり痛くも痒くもない程度ではないかと思うんです。

 レズビアンが「なんか、こんなこと書かれた最悪!」っていうほどはダメージないのかもしれないですね。っていうのはもうゲイの創作物っていうのは、田亀源五郎先生とか児雷也先生とかね。野原くろ先生とかいて(GGGが)ジャンルとして成立しているからだと思うんです。

 で、私がちょっと思うのが百合もBLもなんですけど。これはねあくまで私の考えで、そうじゃなきゃいけないって話じゃないですけど。(注:ここから「にじり寄る」話です)

 映画に「ベクデルテスト」ってあるじゃないですか。

 映画とかで女性がわりと(キャラクターとして)ひどい扱いを受けているっていうことが多くて。で、ちゃんとジェンダー不均衡について目配りできるかどうか、っていうのをいくつかイエスノーで答えていって。「この作品ベクテルテストの要件満たしてるね」とか「これは全然駄目だ」というようなテストがあるんですよね。

 百合とかBLとかでも、そういうベクデルテスト的なもの。例えば「その権力/社会的な背景を利用しているか否か」。さっき言った上司と部下とか先生と生徒みたいな。そういう権力の勾配を使って性的な関係を結んだり、結ぼうとしたり、強要したりしてるかどうかとか。あとは「未成年を過剰に性的に描写していないか」っていう風な。

 いくつかそういうベクデルテスト的なものがあってもいいんじゃないかなって思います。

 もちろんそのベクデルテスト的なものをパスしてないといけないってわけじゃもちろんないです。ただ創作する人、鑑賞や消費する人とかに少しそういう意識があった方がいいんじゃないかなって。

 ただ、すこし私が難しいなって思うのが、その「未成年の性的な描写がダメ」って、まあダメなんですけど。「百合」って基本的に「少女」、未成年をキャラクターとして動かすことがすごく多いですよね。大体、中高生が主人公。成人同士も最近結構多いですけど。

 そういう風な傾向があるので、未成年を性的に描いているかどうかっていう話をすると。それを厳格に運用したりとしたら、なんか「百合」というジャンルの8割が消えてしまうのではないだろうかという怖さはあります。

元々のベクデルテストっていうのは……。

(以下、ウィキペディア読み上げ

ベクデル・テスト(英: Bechdel Test)とは、ジェンダーバイアス測定のために用いられるテストである。テストではあるフィクションの作品に、最低でも2人の女性が登場するか、女性同士の会話はあるか、その会話の中で男性に関する話題以外が出てくるかが問われる。2人の女性に名前がついていることも時としてテストの条件に付加される。

もともとは映画を評価するために用いられ、現在ではあらゆるフィクションにおいて用いられている。現代の映画の半分程度はこのテストをパスしないと言われており、これは映画産業で働く女性の比率が低いことや、業界人の観客の好みに対する想定ゆえであるとされている。批評家はこのテストは総体として考えた場合は有益だと指摘している。個別の作品については、性差別と無関係な理由でテストをパスしたりしなかったりし得る。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%99%E3%82%AF%E3%83%87%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%86%E3%82%B9%E3%83%88)

 っていうことなんですけど。百合やBLの倫理的なテストっていうのも何でしょうか。言葉ばかりだとか「アンチ表現の自由派」みたいな受け止め方をおそらくされるんですけれども。そういう視点があってもいいんじゃないかな?っていう私の提言でした。

 そのベクデルテスト的なものをパスしなきゃいけないってわけじゃないんですよ。ただこういう視点もあるよっていうのがコミュニティ……ファンダムに導入されることは決して悪いことじゃない。だから、さっき言った「総体として有益」というやつ、になるんじゃないかなと私は勝手に思ってます。これはね、実際に創作する人に聞いてみないと分からないですけど。

 あとはそういう視点が導入されたときに、無心に「ユリセ」って言われるような性的描写を楽しんでいた人にはちょっと受け入れがたい面もあるかもしれないですね。何ていうんでしょうか、頭の中にワーニングが出ちゃうような。ただ、ゲイコミックで良くある「これを実際に実践するとHIV感染の危険性があります」という但し書きみたいなもんで。ちょっと最初は引っかかると思うんです。けど慣れるんじゃないかって。だいたい読み飛ばすでしょ、見飛ばすでしょ、そんなもん。でもなんかそういう小さいストッパーでもいいんじゃないかな、っていうのが、もう、しつこいけど私の意見です。

 ちょっと次回はあの再開した筋トレの話でもしてね。ベクデルテスト的なものの具体的な話はいつになるかはちょっと分からないかもしれないです。友達にも聞いてみたいです。

 長々と。今日なんか人多かったね。67人だって。今は18人もいらっしゃいますけど。本当に長々とありがとうございました。それじゃまた、来週金曜日。またtwitterから告知しますので。また、お会いいたしましょう。じゃあ、皆さま安らかな夜を。お休みなさいませ。

→1時間半話したうちの後半。 2022.3.21配信

 あまりにも本筋から外れた脱線の省略、話を追うのに必要な補足、話の筋の錯綜の編集、冗漫な繰り返しの削除など、手を加えております。

追記:さすがにツイッターで「3P痴漢百合(女子高生)」が流れてきたときはびっくりしました。

ボディポジティブのその後

 2020年の夏のブログでボディポジティブの理念と自分の理想のボディイメージとのはざまで呻いていたのですが。もう「こうありたい」という邪念も自分のうちだなと思うようになりました。自分の姿は愛すべきだけど、「べき」が重荷になってもいけないし、何より「理念」が自分を押しつぶしてはいけない、と。

 しかし、数日前に「IN BODY」(体組成の分かる精密体重計のようなのも)に乗って「ぐぬぬ」とかいっているので。邪念も自分のうち、ではなくて「邪念が自分」なのではと。

 欲は尽きません。

魔女ワーシェンカのその後【配信切取】

 私の好きな漫画で歴史もの? ロシアがソビエトだった頃。ナチスとかと戦っている第二次世界大戦の頃。その辺が題材になってる歴史ファンタジー? 私は昔から好きで「靴ずれ戦線」っていうんですけど。

ざっくりいうと、ソ連邦の下士官の女性と徴用された魔女が前線を泥だらけになりつつ転戦し、その場の妖怪やら何やらをなだめたりすかしたり、脅したり戦ったりの話。

ソビエトって「男女平等」っていうのが建て前じゃなくてめちゃめちゃ運用されちゃって、「戦争は女の顔をしていない」って小説でも、たくさん女性兵士出てくるじゃないですか。なのでミリタリオタクの人が好きな軍服女子みたいなの、世界大戦のソビエト兵ならリアルで別におかしくない話なんです。

で、なんといっても魔女の話なので、スラブ妖怪とか伝承、民話、例えば冬将軍とか雪娘とか色々出てくるんですけど。

ここからネタバレ。

なんかラストがねビックリの百合エンドだったんですよ。本当にビックリ。描いたのは速水螺旋人さんっていう漫画家さんで。私、ツイッターでアカウントのフォローしてるんです。

1週間ぐらい前かな。ちょっと「ワーシェンカ2022」ってタイトルでイラストが投稿されて。

でね、旧版の「靴ずれ戦線」のサブタイトルって「魔女ワーシェンカの戦争」。ワーシェンカは魔女ですよ。当然、すっごい長生きするんです。なんでね、あの第二次世界大戦生き延びて、今の時代もまだ生きてる、という。作者自らそのイラスト書いてたんですよ。

昨今のファンタジー小説とかマンガだと、魔女は年とらないって多いじゃないですか。下手すると幼女の姿をしているっていう。いわゆるロリ婆だったりの設定が多いかなと思うのですが。ワーシェンカは年を取ってしわしわになってるんです。で、スマホを手に取ってめっちゃ渋い顔をしてるっていうイラストが上がってて。(おそらくプーチンのせい)

魔女も年取るだとかそれはそうだよね。魔女は不老不死みたいな設定は常に付いてないもんなぁって。まあ、長生きすると。その第二次世界大戦を生き延びてソビエトが崩壊してロシアになって、今はウクライナ侵攻とかって知ったらどうなんだろう。そのニュース?を「スマホで!」見て魔女は何を思うのか……ということですね。

下士官の方は「人」なので、同じ年月を生きられないのかな、とかね。色々なんか考えることがありました。

で、昨今、政情不安じゃないですか。なんか最初の3,4日とかロシアは核を持っているので、夜寝て朝起きたら第三次世界大戦が始まってて、世の中の半分なくなってるんじゃないか、とか。

あとね、北方領土っていうかもう実質的に日本の領土じゃないですけど。なんか近いじゃないですか。北海道は終了になったりとかする可能性あるんじゃないかとか。

あとロシアは同性愛に対して厳しいじゃないですか。なんかすごく不安でね。……という話。

私が持ってるのは古い版の方なんですけど、今は新しい版が出て、おまけ漫画とかイラストとか追加で。だから今はそっちを買った方がいいかな、って思うんですけど。上下2巻。興味ある人はお読みあれ。

はじめはあまりにしわしわで「あれ?」と思ったんだけど、前髪が同じだし確かにワーシェンカだわ。。。

2022.3.21配信分の切り出し

復帰1日目。

 それらしいコンテンツを上げて1日目。

 昔ほど心臓強くなくなったのでフルフルしています。

 ワタシ個人は「百合」という装置そのものがクィアベイティングになりやすい構造を内包していると思いますね。(良い悪いの問題ではなく)

 で、夕方からジムに行く予定なのですが、一仕事終えた気分なので行きたくない。とはいえ「行きたくない」という気持ち以外で「行かない」という合理的な理由が何もなくて。とりあえず熱いコーヒーをすすってます。

 筋トレ(この言い方あまり好きではなくて、レジスタンストレーニングとかワークアウトとか)の進捗ですが、ずーーーっと中級者レベルで足踏みしたまま。このまま永遠の中級者で終わるのではと悩んでました。

 年齢的に疲労管理の問題も大きく浮上してきましたし。これは非線形的トレーニングをするしかないな、と。……で、今日は重たい胸の日なわけですよ。憂鬱なわけです。

百合とBLのクィアベイティング性について(その1-①)【配信再録】

 まだ、あのー薄暗いままです。なんかね新しいライトつけるのはちょっと怖いので、薄暗い感じなんですけど。
 なんとかキッチンの方とかユニットバスから漏れてくる光を下にお話ししております。コメントしても差し支えない人は「聞こえてる~」とか教えてください。

 前々からちょっとクィアベイティングの話はしたかったんです。これ話そうと思ったきっかけが、多分半年以上前になると思うんですけれど。あのポカリスエットのCM、結構話題になったことがあるじゃないですか。あの結構セットにもお金かけてて。女の子が、まあポカリスエットといったら女子、女子高生。制服女子高生ですよね。その制服の高校生と思しき子がお花ざかりの学校の中を走って行って。最後に体育館かなんかなんかで女の子同士、手を取り合ってくるくる回ってEND。というのがありました。それをツイッター上でゲイの男の子と「なんかあれいいよね」って話した時に、私は「ちょっとあれ微妙なんだよね」、「ちょっとクィアベイティングじゃね」みたいな話になって。それはその時でふわっと終わっちゃったんですけど。

(あと喋りやすいので、適当にコメント入れてくれたほうがありがたいです。最近、某Mちゃん、ツイッターで相互フォローしてて、ゲーム配信してるんですよね。で、私一人がこうやって配信してる時にコメントあったほうがやりやすいからと思ってコメント入れるんです。けど気がつくとね、だーっとね十何行以上下手すると数十行私のコメントだけで。「これちょっとやばいんじゃないか」と思っていて。この間、Mちゃんと会う機会があって。どっちかって言うと呼び出し、って感じだったので。あのー何でしょう。えっと、呼び出しで「ちょっとアレだと困るんですけど」とやんわりと言われるのかな。って、ビクビクしながら出かけて行って。別にそれはそうじゃなくて、かわいそうな動物の私にご飯をおごってくれるだけだったんですよ。)

 さて、きっかけのもうひとつ。去年のワタシのプッシュマンガ作品のうちで「作りたい女と食べたい女」ってあったじゃないですか。主人公がまあ古い分類ですけど恐らくレズビアンかなっていう感じ。売れてるいわゆる「百合」っていうカテゴリの中では久しぶりにこう「Lのためのマンガ」と感じられるものだったんですよね。ただフォロワーさんに指摘されたんですけど以前に書いてたのがBLで、セックス描写とかもかなりあって「ゲイ表象をちょっと性的消費してる部分が強いんじゃないか」っていう指摘をされて。
 あの作者(ゆざきさかおみさん)トータルとして(過去にさかのぼって別作品も含めて)100%罪がないって変なんですよね。あり得ない。あの作品(「作りたい女と食べたい女」)でも100%政治的に素晴らしく誰も傷つけない表現っていうのはちょっと無理ですよね。で、その上でどうしたら……あの安っぽい言い方なんですけど、「より良い表現」ににじり寄るれるのか。を、考えたい。なんか簡単に「そっち」(ポリティカリーコレクト100%)に「ハイ、行きます!」みたいにはならないので。
 「にじり寄る」って言葉をね、考えたい。

ちょっとカフェラテでも飲みながら話していこうと思います。

 今日は「100%の表現」ってないよね、っていうのと、どうやったらその「より良いっていう表現」ににじり寄れるのかということを前提としつつ(クィアベイティングの)話をしたい。ので、今日はたぶんその1で終わっちゃうと思います。
 これはシリーズでパート3くらい行くかなって感じです。

 実は去年、結構本を処分しちゃったんです。なので本当はこの話も実際に持ってるマンガとかを例に取りつつ話せたら良かったんですけど。手元に残るのって表現としてより良いポリティカリーコレクトな方のマンガなんですよ。ウェブで売れてるとか、店頭で平積みになってたとか、ちょっとエッチそうとか。そういうフックで買った本って残らないので。今、私の書棚にあるBLは優等生な感じなのだけが残っています。「ちょっとあのー、これは駄目なんじゃない?」って批判っていうか対比させるために。「これは同意なしのセックスとかポリティカリーコレクトとして弱いんじゃないの?」っていうものとして実際に提示できたら良かったんですけど。またの課題で。

 でですね、話は元に戻るんですけど。「百合」のクィアベイティング性。この話をするときツイッター予告でキュキュッと「クィアベイティング」って書いちゃったんですけど。なんか一般的な検索したら、日本語でまとまって「これがクィアベイティングです」っていうの解説を見つけられなかったんですよ。(論文検索ならあるかもしれない)
 どっちかっていうと海外のセレブニュースみたいなやつの中で、セレブが軽率にやった「女同士でキスしてみた」が非難される時にクィアベイティングだって言われるのを見かけるかなと。ワタシなりの解釈だと実際はクィアではないとか、クィアである実態?が全くない人とかが商業的にクィアであることを匂わせたりする、みたいなことをクィアベイティングっていうんじゃないかなと思ってます。

 もともとなんかベィティングっていうのが何でしょう。釣りのルアーとかのウニャウニャウニャウニャってなってるやつをベイトって言うじゃないですか。ああいう「おびき寄せる」ようなものの事いうみたいなんですけど。というのが大前提にしてて、ワタシのこの解釈もしかしたら間違ってるかもしれない。(ごめんなさい)
 なんか日本で、まとまった用例がなんか見っかんないんですよね。
そもそもなんかクィアという言葉自体がまだ浸透してないっていうか。クィア自体が……定義。こういうものに定義ってね。もともと変態って言葉ですから。変態にね、かっちりした定義がないんですよ。
 なのであのクィアベイティング自体も、あんまりかっちりした定義が馴染まない言葉かなとは思います。


 まあなんですよ。一昔前のt.A.T.u.みたいなもんだと思えばいいと思います。で若者はt.A.T.u.知らないよね。あのロシア初?のあのクィアベイティングガールズ2人ユニットです。

https://ja.wikipedia.org/wiki/T.A.T.u.

 クィアベイティングなんですけど。ポカリスエットのCMとかを例にとっても、あの「百合」っていうあの装置で消費者を引き付けるっていうことは割とカジュアルにされてると思うんです。最近ワタシのアンテナでちょっとざりざりざりってちょっと嫌な音を立てたのがそのポカリスエットのあのクルクル回るCMだったんですね。その百合がそういうふうにクィアベイティングである……。これをクィアベイティングって言っていいのかどうか、っていうなあの議論もありと思いますけどそれはとりあえず置いといて、ワタシの中でクィアベイティングなのでちょっと話を先に進ませます。
 で、男の子同士だとそういう風に同性愛のような姿を借りて、ポカリスエットのCMで出てくるっていうことがまあないですよね。その時ワタシの相互フォローさんもが言ってたのは「男子高校生というと洗濯物がいっぱいで、とにかくたくさんご飯を食べるだけで。なんか男子高校生だってクルクルしてもいいじゃないか!」って。ワタシはなんかそうだそうだって「男子もぐるぐる回れ!」って感じでしたが。
 実際にくるくる回るのって女の子二人なんですよね。くるくる回るだけなのでこう百合とかガールズラブみたいな言葉はCMの中では一切使われていないですけど。
ただ、視聴者は勝手に女の子同士の友情だと受け取ったり、勝手にレズビアンだと思って勇気付けられたり。若くてきれいな女の子二人の表象。そういう同性愛的な表象って、絵になるっていうか……。なんか金になるんだなって。金になるんだなって(2回言った)。つくづく思いました。
 そして、その類のきれいな表象が「百合」っていうジャンルの中で、どんどん強化されていると思うんです。百合っていえば女性間の同性愛的な表象である。っていうのを社会的な「LGBTとか言われるような人・もの・動き」とかと結びつけない傾向がすごく強くなってきてると思うんですね。

 でも結局は「百合」って女性間同性愛表象を使っちゃってるっていうのは事実です。
なんかそれは美しいカップルだろうとワタシみたいな50代シングルなワタシも同性愛表象。表象の一部ではありますし、間違いございません。

 で、どう転んでも「百合」は同性愛表象であることには違いがないと思うんですよね。で、オタクっていうかそういうフィクションの物語を好む人がよく言うのが「ファンタジーと現実は別物」っていう言い方をするんですけれども、じゃあ何で現代日本の実際にあるようなあの書割めいた、あの物語の組み立てで、実際にいる女性二人のような姿を借りてあの表現をするのだろうか?っていう。
「好きだから理由はない」ってというかもしれないですが、好きだったら、好きだからこそ、そこに絶対理由があるんですよ。うん。

 で、ポカリスエットのCMね。フォロワーさんの周りでも議論してました。そういうのがどんどん表に浮かび上がってくればいい、みたいな。ワタシの観測範囲が悪いのかもしれないけれど、そういう議論があんまり表立って議論されなくって。なんとなく「いいCMでしたね!」で終わっちゃって。「えー!?」みたいな。

 で、元に戻ります。
 ファンタジーだろうと何だろうとやっぱり同性愛表象っていうものを使ってるのは違いがない。現実とやっぱり繋がってるんですよ。ワタシはね、一時期まではツイッターのトピックをフォローすると自動的にそれに関連するツイートが流れてくるっていうのあるじゃないですか。それで一時期ちょっと「百合」っていうのをフォローしてたんですけど。もう「ヤバいね。気持ち悪いね」みたいなが多くて。
 気持ち悪いっていうのって、別にあからさまなセックスシーンがあるとかじゃなくて。これが男女間だったら超ドン引きみたいなやつが普通に消費されていて。


 例えば「女性上司と」って。これも女性上司っていうのは変な言葉。男性の上司って無徴なんだけど上司に女ってつけないと、それを表せないっていうの。すごくあの女上司ってのはジェンダー的にね興味深いというか、あのアレなんだなっていうふうに思うわけなんですが。

 また話がずれました。
 その女上司と新入社員みたいな関係性でその上司の方がその権力を盾に取って、一緒のプロジェクトになるように仕組んだりとか出張で「あっ、間違えちゃった」とかってツインやダブルの部屋になるように仕組んだりとか。いやマジで気持ち悪いじゃないですか~。
 あと学校の先生と生徒とかね。権力の濫用以外にも「普通に犯罪ですよ」みたいなやつが多い。人並み外れて執着心が強い、ストーカーみたいな。気付かれてないだけのストーカーみたいなのが「純粋で一途な女の子」っていう描き方されて。「百合って無法地帯!」と思えるようなのが散見されてしまって。


 それから「女からセクハラするなら大丈夫だよ」みたいな作品ね。ちょいちょいありますよね。

 そして、百合は女なら(セクシャルハラスメントも)無罪っていうのを、かける、女の二乗みたいな感じで、ヤバさも二乗!もろに犯罪!みたいなのがありますよね。例えば、「酔っぱらっているから持ち帰りOKでセックスもOKだよね」、って……OKなわけあるかああ! でも本当そんなんですよ。
 もう百合、犯罪行為が横行しています、百合創作。そういうのをね見慣れると界隈そんなもんだからいいんだみたいな感じになっちゃうかもしれないですけど。いやいやいやいや。表象(に参照)されているこの現実の生身の人間たちってどうなのよ、と。

 百合って「百合姫」とかがね、「百合姫」じゃない。創刊する前に「百合姉妹」ってあったんですよ。4号だけで終わったけど。あの「百合姫」が創刊された頃とかって、当時当事者の作家さんがいたんですよ。そうするとまあ表現も当事者が読んでもキモくないっていうか、勇気づけられるような、「こんなのあるある」みたいな話。そういうのがあったんですよ。うん。
 それが「百合姫」も時代が下ってくるにつれて変わってきて。戦犯は基本的に「百合男子」だと思ってるんですけど。男子目線の「百合」も増えてきて。最近はホントにキャラクターがめちゃめちゃ「バ美肉」なんですよ。あのバ美肉って言ってもワタシのフォロワーさんだと知らない人がちょっと多いかもしれないですけど、「バーチャルで美少女に受肉」の略で。美少女のアバターでVチューバーするとか。(見た目美少女だけど)中身はおじさんだったりするのです。
 百合をやってるんだけれども行動原理とか言動がめちゃめちゃおじさんが女子高生というスキンをかぶってくちゅくちゅイチャイチャしてる、っていうね。……イチャイチャの前にクチュクチュって言っちゃった。

 なんかさあ、もうさ、おじさんなんだよね。ほんとね、女子高生同士なのに何でこんなにとってもバ美肉おじさんなんだろう……みたいな作品が。増えたなと思ってます。あとはR18でもないのに百合はカジュアルにエッチなものだからみたいな感じで。ストーリーの中で「ちょっと早くない?」という段階でエッチなことをしてラストにもう一回みたいな。いやいやいやいやいや、せめてR18にして。みたいな感じなんですよね。(エッチを描くことは否定しません。キリッ)
 バ美肉に限らず界隈で好まれる表現っていうのがあって、こないだ「百合姫」の初期くらいの頃から描いているあの漫画家さんがいて、絵柄変わったの。前はしゅっとした感じの等身の高い感じの絵を描いてた人なんですけど。丸っこくなってて、めっちゃ巨乳になってて、顔の造作とかもちょっと幼くなって。えーこの人こんな絵を描くようになったんだって驚いて。ちょっとね、怖い感じがしました。

→1時間半話したうちのアタマ30分。 2022.3.21配信

 あまりにも本筋から外れた脱線の省略、話を追うのに必要な補足、話の筋の錯綜の編集、冗漫な繰り返しの削除など、手を加えております。話の途中なので伏線回収もあるよ。
 まだまだ続くよ!

追記:「作りたい女と食べたい女」はポリティカリーコレクトに寄ってるがゆえにいろんなものを背負わされすぎだと思います……。

そろそろ復活の狼煙

 約2年、放置だったこのサイトですが、また再稼働しようと思います。(無駄にサーバ代払ってるし)

 以前は厳選コンテンツを「書き切れたー!」という満足とともにアップしていたのですが、それはあまりにハードルが高い。なので、ツイキャスでの配信(始めてるし)の再録、日々徒然のライト版を上げていこうと思っています。まずは配信のテキスト化ですが、いまは良いソフトがあるんですね。YouTubeの配信の中の人をやってるお友達にソフトも教えてもらいましたので。

 テキスト化にあたって、一番のネックになっているのは自分の声を少しでも聞かなきゃいけないということ。こうやって書いている文章の方が赤裸々なのに声には妙な近さがあります。

 まあ、がんばって更新するけど!

モノガタリは現実を喰らう

 よく言われる「創作と現実は違う」ってあるじゃないですか。基本的にオタクの自己弁護の文脈で。ワタシもいい加減オタクな人間なのでオタクたたきがつらい時もあるのですが、ここら辺の創作と現実をすっぱり切って分ける手つきには違和感感じることがあるんですよね。

 「創作と現実が違う」ことの引用として使われるのってゲイ漫画家の田亀源五郎氏のサイトのトップに出てくる「現実と妄想の違いを認識せよ!」ってバナーなんですけど(引用させていただきます http://www.tagame.org/)、ここでの「違い」って創作物に出てくるアンモラルな行為(同性愛がじゃなくてプレイとしてのBDSMの中でも危険な行為)を現実に持ち出して事故とか起こしちゃダメだよ、というもの。ワタシ自身はそういう風に解しているのですが。ツイッターでは恣意に解釈して「二次元と現実は違う(から妄想無罪)」というカンジで非現実的なゲイファンタジーをベラベラ開陳している腐女子(差別的な表現ですけどあえて)がいて、いくら解釈は自由とはいえそれはちょっと……、と思ってしまうことありました。(なぜか様々な表現が打ち寄せられる我がツイッターTL)

 妄想が妄想のまま保持されている分にはいいのでしょうけど、大体が何らかの「表現」として社会に漏れ出してきて現実として現出してきてます。その目の前に「析出されてきたもの」は現実に本当に影響を及ぼさないのだろうか、というのが今回のエントリのキモ。

 で、個人的には「残念ながら創作は現実に影響を及ぼす」と思っています。というのも、わりと大っぴらに自身の「レズビアンである」というセクシャリティを公にカムアウトするようになって再三再四、再五再六……、数えきれないほどシスヘテロ男性と思われる人々から「(性行為について)混ぜて、見せて」言われてきたので。現実にレズビアンが性行為に男性混ぜて「良かった良かった」みたいな話があるとは思えないので、どう考えてもポルノ創作物に影響されてるとしか思えないんですよね。しかも、「ちょっと気の利いた受け答え」かなんかだと思ってるので度し難い。で、こういうこと言うの男性だけじゃないんですよね、女性からも「3P要員」扱いされたこと、こちらは再三程度あるので。なんかさー、って感じです。

 ただ、ここで創作物を滅ぼそうとかワタシは思わないし(という気炎を上げた方が参照数上がるのでうれしい人もいるんだろうけど)、なんならゾーニングもヘタにやるとジャンルが滅ぶと思うんですよね。特に「百合」とか扱われているメイン年代がティーンなので、規制やゾーニングとして「未成年の性的描写」を一律で禁止すると「青い花」ですらゾーニング直行ですよ。

 昔話になりますが、昔「美粋(ミスト)」というレディコミあったんですよ。なぜか1冊まるごと「レズもの」のみという謎の雑誌。で、主にセブンイレブンで売られてたわけなんですけど。記憶は曖昧なのですが、東京都でレディコミに対して何らか締め付けがあった時に真っ先に廃刊になったんですよね。ゾーニングでコンビニ販売をちょっと厳しくするだけで消える表現ってあるんですよ。なので、簡単に「ゾーニング」持ち出すのも悪手になりえます。

 と、まとまらない話になりましたが、次回は「現実はモノガタリを食い潰すのか」を書きたいと思います。