活動の場づくりDIY(前置きとして)

前置きとして「場づくり」という言葉を私は好きではない。「クリシェ」なので。クリシェ:乱用の結果、意図された力・目新しさが失われた句(常套句、決まり文句)・表現・概念……Wikipediaより)「場づくり」というといかがわしいNPOが使いがちなので避けたいのですけど、他に良い言葉を私が見つけられないのでそのまま使います。

さて、私が長いこと書く気になれないでいたブログを再始動しようと思ったのは、とあるジンを読んだのがきっかけのひとつでした。(紙の形のジンは直接 元気のないおさむ さんにいただきました。 ありがとうございます。)

周縁で考える クィア・フェミニズム界隈の話

超・超ざっくり要約すると、「既存のクィアの活動の場が閉じているのではないか、商業主義に過ぎるのではないか?」という問題提起です。私の一読した感想というと、「それはもっともなんだけど」という前置き付きで、「求めすぎ~~」とか、「変えるためにオノレを売り込まないとー」とか、「いや、十全に満たされる場が欲しければ、自分で作るしかないんじゃね?」、でした。

身内で回す閉じてる感のある小規模イベントに対する不満は当然あると思います。ですけど、書店経営などの傍らでイベント登壇者などの公募をするなどの手間をかけてしまうと、その手間で本業に割くべきリソースを圧迫してしまう。そうなると、その残業代はだれが払うのかという問題につながるかも。(「お前はちょっと世界が狭すぎでは」とか「看板に少し偽りあり」みたいなイベントはちょくちょく見かけますけど)

私が活動していた90年代00年代では、場を作り上げている人全員が手弁当でした。けれど今はトークイベントなどに登壇する人にもそれなりのお車代を渡すことが常識になってきました(それはとても良いこと)。その費用がイベント参加費にそのまま転嫁されるので、商業主義に見える場合もあるのではと思います。

3つ目の「場が欲しければ、自分で作るしかないんじゃね?」という部分については、意外と情報がないなと思います。

今までの私の活動の経験を踏まえて、「場づくり」のノウハウ的なものを書いていこうかと思います。お金の流れ含めてのノウハウが見えると、特定のイベントに対して「商業主義だ」という批判が妥当かそうでないかがわりと明確になるのではないかと思います。

あと、これは私の持論ですが、とあるイベントなり活動のメインストリームが発生すると、必ずそれにカウンターとしてのオルタナティブな活動が出てきます。それがいつの間にかメインストリーム化したりします(そのままの場合もある)。もしくはその批判を取り込んで既存のメインストリームが太くなったりします。そうなると、またそれに対してオルタナティブな批判が出てくる。議論のコアが振り子のようにスイングし続けるダイナミズムそのものを「活動でしょ!?」って私は思っています。私自身はメインストリームに身を置いたり、オルタナな批判をしたりしてましたから。

あと、余談になるかもしれませんが、私は何十年も活動に身を浸してきたので、「何かやりたい」けど、「何をしたらいいか分からない」人をたくさん見てきました。そんな人たちにも最初のスモールステップのヒントになったらいいかなと思いつつ書いていこうと思います。全体ではおそらく5回くらいの連載になるかなと。

次回の投稿から具体的な「場づくり」について書こうと思います。まずは、「誰とやるか・どこでやるか」です。これだけでいろんなパターンがあると思います。

よろしくお願いいたします。

☆オススメ☆「はじめて学ぶLGBT 基礎からトレンドまで」 

今年はブログがんばると思いつつ、下書きばかり増えてしまうこの頃。25年前の私ならすぐに公開したと思うけど、ちょっとでも引っ掛かり(炎上要素)があると投稿できないわたくし。そんな悩みの中で「フツーに100%おすすめの書籍や動画やブログや取り組みだったらすぐに投稿できんじゃね?」と思って書きづづる以下の記事。

2019年に出版された「はじめて学ぶLGBT 基礎からトレンドまで」という書籍、ちょっと前の本なのですが、とてもいい本です。星五つ中の五つ。ちゃんと通読できればジェンダー・セクシュアリティの大学の講座を通年取るよりも学びがあると思います。逆に活動家でもこの本で書かれていることを理解できてない人もいると思います。というか確実にいます。

良いところはたくさんあって書き出すのが難しいのですが。とにかく網羅性が高い!石田先生が書いてるので信頼できる!章や項目立てが分かりやすい!小項目は見開きで完結してて読みやすい!LGBTについて、何か知りたいという人には一番に薦めたい本です。出版される前は勧められる本がなかなかありませんでした。出版後もSNSでも燃えもしなかったので、あちこちの界隈で受け入れられ、評価されたのではと思っています。

私としては調査公害について触れてるのが特にポイント高いです。ひところよりは落ち着きましたけど、「LGBTの調査、研究」で「マジで腹立つ!!!」みたいなアンケートをSNSでよく見かけました。あとは先行資料を読んでないとか、まとめる方向性ありきでインタビューしてくるとか。そのあたりに釘をさしつつ、どうすればいいかの誘導もあってそこが特に良かった。これで変なアンケートが減ったのではと勝手に思ってます。(ゼロにはなってない)

網羅性が高いけれど「レズビアンの記述が足りない」という意見も見かけました。とはいえ「レズビアンの不可視化」について項目を立てて触れているんで良いのではと個人的には思ってます。正直「これがレズビアンです!」っていう情報は少ないですし。洋楽でもゲイ(男性)アンセムってマドンナ、カイリー・ミノーグやブリトニー・スピアーズとかたくさんあります。それに比べるとレズビアンアンセムというとレズビアン当事者の若干スケール感の小さい曲が多いんではと思ったりします。正直、レズビアンアンセムといっても私もピンとこないんです。(昨今ならチャペル・ローンなんかがレズビアンアンセムかも。昔に比べるとスケール感増してますね。)

と、話がそれました。個人的にはいわゆるアライよりも当事者に読んでほしいかなと思います。私は「レズビアンという井戸」に住んでて、他のセクシャリティにはあまり目が行ってないです。そこらへん、少しは井戸の外の空気を吸う助けになるのでは。

実は石田先生とはわりと仲が良くて、ご飯に行ったりすることもあります。ですが「仲いいから薦める」というわけではなくて、これは100% Pure Loveで書籍自体を推します。

https://www.natsume.co.jp/np/isbn/9784816365829

ごめん!生きてるよ!!

長いこと放置していたブログを再開しようと思います。

新しいPC買ってから(それ以前も)放置してました。

書きたいことはたくさんたまっているので、冬休みにいくつか書けたらなと思います。

よろしくよろしく。

おばさんがおばあさんになる前に(1)

55歳というほんの少し初老が視野に入る年齢になりました。

ここまで来て、気づいたことがあるので今の感覚を忘れないうちに書いておきたいと思う。

その1 体力が低下する

これは誰しも年を取ると感じることだと思います。でも、その体力低下が何を引き起こすかはあんまり知られていないのではと思う。

私の場合は老眼でインプットが減るにつれてアウトプットが劇的に減りました。このブログに投稿が極めて少ないというのが証拠のひとつで。

それとは別の問題もあって、ネットで一番アクティブに使ってるツイッター(X)でも社会的な投稿をしなくなった。しなくなったというより「できなく」なった側面が大きい。(ツイッターがヘドロみたいな場所だからということは措いておいて)

一番体力低下を感じるのはXで社会問題に言及できなくなったこと。言及自体はできなくもないけど、そのあとのリプライの応酬をする元気がない。同性愛者の権利や新型コロナ感染症の問題とか、アンチに目をつけられると地の果てまでリプライ付けられる。もう5年ほど?前になるかと思うけど当事者でなおかつLGBTの権利活動へのアンチアカウントに絡まれて嫌になって応酬止めた。しかしそれが彼らの成功体験になってしまっているらしくて、心底ぞっとした。

中途半端にリプライを返すよりははじめから言及しない方がましかな、と。ただ、アンチじゃなくてわりとメインストリームの活動をしてる人でも、「同性婚支持だから稲田先生は素晴らしい!」とか言う人いるのよ。(稲田朋美は議論の余地なく極右です)でも、こういうの指摘すると「待ってました!」といわんばかりにアンチがわいてくる。もう私には不毛なリプライラリーを続ける精神的体力ないんですよ。悲しいことに。

よく人口に膾炙する「かわいらしいおばあちゃん」は言いたいことがあっても、言ったあとの論争が面倒なので笑顔でやり過ごしているのではという疑惑が私のなかでわき上がっています。

老齢女性に限らず、社会的な立場の弱い人が良くする「やり過ごしの笑顔」というものを使い始めているかなと思います。

※長くなるのでその②に続きます。

2年ぶりにブログにさわりました

無駄にサーバーやドメイン代を払うこと2年あまり。

若いお友達にここのメールアドレスにメールを送ったと言われ、廃墟になりかけているところからスパムにまみれたメールをレスキューしたのが先ほど。

オーナーの気分で左右されるSNSプラットフォームではなく、自分の独立のサイトは大事ではとここいじっていて思いました。

また放置してしまうのではと思わなくもないのですが、自分で大事だと感じたことは自分のプラットフォームで書いておくのが良いのは自明です。2年経つと操作とかかなり忘れているのですが、期待せずにお待ちいただけると良いのではともいます。

かしこ

「First Kill」を観てモヤモヤすること

ずっと前に下書きで書いたものだから古いのですが供養ということで一つ。

私のツイッター周辺では評判の良いNetFlixオリジナルの「First Kill」

私にとっては少し気持ち悪かった。

禁断要素がないとレズビアン物はいけないのだろうか。

ふだん、あれだけ未成年の性的消費にうるさいのに、大体のレズビアンはチョロいんだなと。

私は「これ見てていいのだろうか」と

性的な暗示が花とか果物とかクラシックで。いや、クラシックなのは「ロミオとジュリエット」をはっきりと下敷きにしているので仕方ないかもしれませんが。なんか、20世紀のレズ描写ってこんなあったような気がしたし、バルコニーのシーンが本当にあったのも含めてワタシの笑いのツボに入ってしまって真顔が維持できなかった。

これに共感できるのは感覚若いんだろうなと思った。私は「子供は早く帰って寝ろ」としか思えなかった。が、レズビアンの関係性に対して性的欲求のある人には抗えない魅力があるんだろうなと。

二人を取り巻く環境が経済的にかなり恵まれていて社会問題のノイズが極めて少ないところや、メインのキャラクターがみな容姿端麗なのも視覚的にノイズが少ない。これもすごく気になっている。いろんなものを切り離さないと楽しめないシリーズだなと思いました。

もっと無心に楽しませろと言われそうだけど、「無心に楽しめない私がいる」というのも言論の多様性というところでよろしくひとつ。

パンツ(下着)が乾ききらない季節

梅雨ですね。じめじめして永遠にジーンズの乾かない呪われし季節!

洗濯しても部屋干しせざるを得なくて部屋の片隅で細菌の繁殖する気配を感じます。ので、オキシクリーン使ったり煮洗いで繁殖を元からたたきます。外に干せる梅雨の晴れ間が来るとホッとします。で、その梅雨の晴れ間の外干しですよ。隣のアパートに男(たぶん)が何の憂いもなくデカいトランクス干してる。見ると「チッ」と舌打ちしてしまう。私は実家離れてこのかた下着を外に干したことありません。やっぱり下着泥棒は怖いじゃないですか。

下着泥棒って「盗まれた」という物的被害もあるんですけど、(おそらく)性的なことが目的で盗んでる怖さもあるし。「ここに女が住んでいる」と特定されただろう怖さもある。

なので快晴の中、堂々と道路に向かって下着干してるのを見かけるとけっこうな確率で舌打ちしてしてしまう。

別にそこのパンツ干してる男性が悪いわけではなくて、女物(に見える)下着を盗む(だいたい)奴が悪いに決まっている。だけど、目の前で清々しくパンツ干してる人間の方を暗い理路で憎む(とまでは言いすぎだけど)。この頭の中の暗い短絡した考えの筋道は間違ってると分かっているのに不意に自分の中で起動する。

もう15年かそれくらい前に田舎の大きな家で暮らしている高齢の女性が、やはり清々しくおへそまでありそうな大きな綿パンを干しているのも見たことあります。やはりこの時もうらやみましたが、あの暗い情動とは違う。「私はいつになったらパンツ泥棒におびえずにすむのか」という内省の方が大きかった。

で、梅雨ですよ。微妙に乾ききってない下着をはく季節。ボーイレングスのグレーとかなら外干しいけるんじゃないかと逡巡しつつ内干しする季節が来ました。

追記:派手なパンツをはきがちなゲイ男子がジムや外干しでパンツ盗まれるのもよく聞く話ですが。なんか少し「怖さの質」が違うような気がするんですよね。

英語例文を丸呑みできないが

ちょっと前の投稿ですが。そこに「もう例文を丸呑みできない」と書きました。

「世情不安と英語学習」http://onilez.net/2022/05/31/%e4%b8%96%e6%83%85%e4%b8%8d%e5%ae%89%e3%81%a8%e8%8b%b1%e8%aa%9e%e5%ad%a6%e7%bf%92/

要は人の外見に言及しすぎだし、とても性別役割規範が強いし、異性愛なのは自明の世界観。まあ、あまり心地よくはない。

英文法ドリルの例文を「強制異性愛反対!」とつぶやきつつ怨念の力でコツコツとすべて書き換える勢いでノートに書き連ねていました。もう、1周目をコンプリートしてノートを頭からめくりなおして思うのは「結局、私の中にも『違う偏見』があるだけじゃね?」と。

セールスマネージャーを女性にしたり、男性が家で料理をするように書き換えるのは良いのですが。例文の中ではダイク(レズビアンのもと蔑称、いまは少しポジティブな単語)はビールを飲むし、バイクに乗るし、酔って床で寝る。大物ドラァグクイーンは高笑いするし、新人ドラァグクイーンは大物に心からお願いしないといけない。ステージの上では二人とも一晩中踊る。ゲイがおしゃべりしてばかりなのは私でもどうかと思った。

なんかもう、これはこれで新しい偏見を再生産してるに過ぎなくて。友人には「コンテンツとしてまとめてみたら?(鬼レズ英語例文集的に)」と言われましたが。そういうのは「ネタがマジになる」というものなので、ひっそりと自分の学習にだけ役立たせたい。

そして、私の偏見の最たるものは「She/He はぺろっと丸呑みできている」ことですよ。このあたりは自分の性別やその在り方に疑問のないシスジェンダーだなと思います。

追記:でも、私の作った例文「失政は市民を殺す」は本当だと思いますよ。

世情不安と英語学習

 はろー、エブリワン!(沈痛)

 「魔女ワーシェンカのその後」http://onilez.net/2022/05/24/魔女ワーシェンカのその後【配信切取】/で書いたように、2月末は不安にさいなまされていました。

 正直、世界中で常に戦火はあるけれど「ロシア」は地味に国境を接しているので怖かった。初期は西方だけでなくこちらにも全面展開するパターンもあるのではないかとプルプルしてた。なんなら中国が漁夫の利を狙って蠢動するのではと疑心暗鬼になった。

ロシアも中国も同性愛者に厳しい。と、暗いことを考えて。戦況が膠着しかけている今では笑われそうですが「やべえ捕まるかも」と真剣に考えた。それで当然行きつくのは亡命とか難民とかですよ。今さら「レズビアンではありません」とか、顔も名前も出して活動していたからホントに無理で。レズ狩り第一波で捕まって施設入り(ならマシですぐ殺される)しそうだし。そこまでいかなくても「転向」迫られそう。(50代レズビアンの「転向」って具体的に何かというのはありますが)

自然に「いつかあるかもしれない亡命のために英語勉強しよ」って思いましたよ。

で、私の英語ですが、30年くらい前にTOEIC受けて500点くらい。今や惨憺たるものですよ。友達に教えてもらったクレイジーセールで安く買った「ロゼッタストーン(英語学習ソフト)500」が難しくて後半くらいからほとんど勘押し。(同時に買ったキクタン500はコンプリートして、まだ地道に単語帳作ってます)

という体たらくなので、「これはもしかして基礎文法やらないと、どうにもならないやつ?」とAmazonでテキスト買ってやってみたところ。五文型(SVOCとか)からあやしくて、メソメソしながらもうすぐ終わるところです。で、高校英語にステップアップ……とはならなくて、「もう一周やらんと覚えんじゃろ」と腹をくくって新しくノートをもう一冊買いました。

(余談ですが、学生の頃は参考書も文房具も買ってもらい放題でしたが、今は地味に出費がつらい。フリクションペンの芯は何であんなにすぐなくなるのだろう)

と、2月末のウクライナ侵攻のすぐあとから勉強始めたので、もう3か月。あれこれ試してみたけど、私には中学英文法を(例文を書き替えながら~これについてはまた別の記事書きます)コツコツやるのと3センテンス英語日記をこれもまたコツコツ書くことかなあ。やっぱりもう頭が固いので与えられた英文を丸呑みするのは厳しいです。なんか、「自分の中から出た言葉」でないと学べなくなってる気がします。厳しい!

それにしても、私の知人友人は英語が堪能な人が多いのに、学習法だの教材だの勧めたり口出しをほぼしてこないので大した自制心だと思っています。

 

百合とBLのクィアベイティング性について(その1-②)【配信再録】

 そういう風なことを踏まえるとちょっと面白いのと怖いのとのの両方両面があって。ずっと動きを追っているのが二丁目の元々レズバーだった「Ancor(アンカー)」。百合ブックカフェみたいな感じに変わって営業するようになったんです。「百合の聖地」とまでは言わないんですけどなんか結構界隈で賑わってて……。

 ちょっとあのいつの間にか一枠終わってたので。えーと今15人。結構今日来てんね。もう一枠行こうと思うんですけど。もう本当うちさ、こういう誰も得しない話題が多いので。お茶とかも来ないしね。えっと、どこまで行ったっけなんか……。

 界隈で位置が危ういなと思ってて。あそこをやってるのってagit系列で。二丁目に「百合の小径」とか、「Lロード」とか、くそダサい名前が付いている小路があるじゃないですか。あそこのちょっと南からの入り口の左側に「agit」ってあって。けっこう前からあるお店。あの系列で「艶櫻」とか、Aの頭文字付いてるレズビアン系のお店ってだいたいあそこ系列なんです。なので「Ancor(アンカー)」もAなんですよ。で、そういうところがあるから、「バ美肉寄り百合」とかも(当事者が)許容してるみたいな風に取られるのがちょっと怖いなっていう。

 さんざん「バ美肉寄り」(への悪口)言ったけど、当事者が当事者のために描けばいいってもんでもなくて。

 私が結構好きなマンガで森永みるく、さんってマンガ家さんが描いた。「百合姉妹」の頃の「くちびるためいきさくらいろ」とかね。その後「ガールフレンズ」とか別媒体で描かれて。名作描かれたんです。(作者は)めっちゃノンケなんですよ。めっちゃノンケのお姉さんなんですよ。でもね、そういう人もちゃんとね。ちゃんとまともに、まともって言ったら言葉は変なんですけど。目配りしてキャラクターを掘り下げて書くと、別にノンケだろうと関係なくて。当事者だからちゃんと書けるってわけじゃない。やっぱりこれは作家さんの技量なんだなって。(注:リアルタイムの雑誌で読んだので、ものすごく過大評価しているかもしれません)

 別にLのためのLによる表現ばかりが良いものでは決してない。というのはワタシの揺るがぬ意見ですね。

 多かれ少なかれ「百合」って女性同性愛表象をどうしても消費しちゃってるんですよ。それはどういう形で消費してるのか、誰を対象にして消費してるのか、っていうことで幅があって。そして読者それぞれに受け取り方が変わってくるんじゃないかな、と思ってます。

 私はわりとさっき言ったLのための表現に振っているものを高く評価しがちなんですけど。Hかどうかよりも。まあ、こっち(H)は最近そこまで興味ないんですけど。まあ……、あのー……読んでますよね。昔ね「百合姫ワイルドローズ」っていう別冊があって。それはエッチだけ、短編だけ、で集めてる、っていうのがあったんです。別冊です。それを「資料です!(キリッ)」と言いつつ毎号買ってました。今も本棚にあります。(注:数年分の「百合姫」は研究者に譲ったのに)

 で、話は戻るんですけど。「ファンタジーと現実を混同するな!」というわりに混同する感じの消費者、コンシューマーは当然いるんです。けれど混同するも何も百合という表現の歴史を辿っていくと中興の祖の「マリア様がみてる」あるわけですよ。で、さらに源流をたどっていくと吉屋信子さん。吉野信子大先生ですよ。

 パートナーと養子縁組したからね。もうガチレズですよ。(注:上記の研究者いわく「同性婚したい」と手紙に書いて、相手に「そういう目立つのはちょっと」とかわされている、とのこと)遺族によってきわどい手紙は処分されたのではといわれてますが。愛好者には「そもそも百合の祖はガチでした」っていうことを私は声を大にして伝えたいですね。

 まあ、ここで百合の話はひと段落、なんですけど。(配信の)タイトルにも書いた。あのBLの方の話。

 これ構造が百合と非対称なんですよ。BLって、その起こりからして百合と違っていて「LのLによるLのための表現」、「LLL」ではなく、の「GGG」ゲイのための表現を起源にしてはないですよね。って昔は「やおい」とか言ってた訳ですけど。そうとう大きく違うところです。

(吉屋信子についてのコメントが来て)あ、こんばんは少女小説の大家です。大家ですよ。うちにも「屋根裏の二処女」がありますからね。ちょっと「花物語」は手放しちゃったんですけど。

 で、BLって言うか「やおい」ってイチからGGGじゃないんですよね。やっぱり女性がその何でしょう……。男性と女性だと、現代的なパワーバランスがあるので。(女性では)実現しえないものを男性同性愛の表象を使って表現していく……みたいなのがあったと思います。私の本棚に一冊だけ、昔の「JUNE」があるんですよ。昔の「JUNE」ってレンジが広いですよね。クソみたいな小説もあれば、ロンドンのゲイライツの活動家が出てくる小説もあったりして。なんか昔の「JUNE」は懐広かった、みたいな感じですね。だけど、これもGGGからじゃなくて、(非当事者が)その表象を、これも当然、「百合」と同じく消費してるんです。

 元々、当事者が界隈にいなかったのもあって、もしかしたらちょっといたのかもしれないですけど。あんまり認識されなかったのもあって、性的消費をしてるっていう意識がちょっと低いんですよね。その低さってなんでしょう。

 これは私の私見なんですけど、糊塗するかのようにきれいに塗って、「私たちはそんなHなだけじゃない、歪んだ形で一方的消費してる訳ではないですよ。ちゃんとした作品(鑑賞)ですよ」みたいな。取り上げられ時にいわゆるポリティカリーコレクト的に良い(とされる作品)ばかりが取り上げられるきらいがあって。それが昔のよしながふみの作品であったり、雲田はるこの作品であったり。まああれ(よしながふみの「ジェラールとジャック」)も(未成年の)男娼を買うところから話が始まってるので、本当にポリティカリーコレクトかって言ったら……。最終的には二人の合意、お稚児さんとお客ではなく対等な立場で、と話は終わるんです。

 でも、「この界隈はそんな下品なものじゃないですよ。こんないいものもありますよ」っていうふうに提起されるものが(優等生な)まあそういうものばっかりであって。

 実際、「試し読み無料!」みたいなウェブで売れてる漫画って全然違うじゃないですか。もう、酔っぱらってるところに付け込んでほぼ強姦とかなんか。あと百合では少ないけれども「オメガバース」とか「サブ/ドム」とかの話がすごく多いなっていう感じがして。それは私からしたら(同性愛表象で異性愛をなぞる?のは)どうなんだろう(グロい)って思うんですよね。

 で、そういうふうな……ちょっと倫理的にまずいんじゃないの?っていうBLについて、誰か警鐘を鳴らしたりとかする人っているのかなって?と思うんですけど。界隈に嫌われるだろうからまあ言わないのかなと。

 あと何でしょう。百合でね。あんまりひどいことを描かれたら、私たち、「私たち」って急にね、主語が大きくなりましたけど。わりとレズビアン傷つくじゃないですか。

 で、百合ファンダムでは創作してる人、消費する人、実は視野の端にね、レズビアンって目に映ってると思うんですよ。だから定期的に「百合とレズは違う」みたいな論争が起こって。「あの、それもう二十年前から、その前からやってない?ちょっと勘弁してくれる?」みたいなのが繰り返されるわけで

 でも、BLだとそのゲイの姿ってほぼ(消費の視界に)ないな、って。

 ゲイでBLに言及する人って基本的になんか肯定してる人がなぜか多くて。っていうのも多分当事者ゲイからBLが視野に入る人って好きで視野に入れてる人が多いんだと思います。なので、あの界隈まあ良くない言葉ですけど「腐女子」に嫌われたくない。一緒に楽しく消費したいっていう人が多いからそうなってるんじゃないかなって。私はちょっと思ってるんです。

 それと、やっぱり(BLを)作ってるのは何といっても界隈女性ばっかりなので、ゲイからしたら、なんか変なこと書かれても、あんまり痛くも痒くもない程度ではないかと思うんです。

 レズビアンが「なんか、こんなこと書かれた最悪!」っていうほどはダメージないのかもしれないですね。っていうのはもうゲイの創作物っていうのは、田亀源五郎先生とか児雷也先生とかね。野原くろ先生とかいて(GGGが)ジャンルとして成立しているからだと思うんです。

 で、私がちょっと思うのが百合もBLもなんですけど。これはねあくまで私の考えで、そうじゃなきゃいけないって話じゃないですけど。(注:ここから「にじり寄る」話です)

 映画に「ベクデルテスト」ってあるじゃないですか。

 映画とかで女性がわりと(キャラクターとして)ひどい扱いを受けているっていうことが多くて。で、ちゃんとジェンダー不均衡について目配りできるかどうか、っていうのをいくつかイエスノーで答えていって。「この作品ベクテルテストの要件満たしてるね」とか「これは全然駄目だ」というようなテストがあるんですよね。

 百合とかBLとかでも、そういうベクデルテスト的なもの。例えば「その権力/社会的な背景を利用しているか否か」。さっき言った上司と部下とか先生と生徒みたいな。そういう権力の勾配を使って性的な関係を結んだり、結ぼうとしたり、強要したりしてるかどうかとか。あとは「未成年を過剰に性的に描写していないか」っていう風な。

 いくつかそういうベクデルテスト的なものがあってもいいんじゃないかなって思います。

 もちろんそのベクデルテスト的なものをパスしてないといけないってわけじゃもちろんないです。ただ創作する人、鑑賞や消費する人とかに少しそういう意識があった方がいいんじゃないかなって。

 ただ、すこし私が難しいなって思うのが、その「未成年の性的な描写がダメ」って、まあダメなんですけど。「百合」って基本的に「少女」、未成年をキャラクターとして動かすことがすごく多いですよね。大体、中高生が主人公。成人同士も最近結構多いですけど。

 そういう風な傾向があるので、未成年を性的に描いているかどうかっていう話をすると。それを厳格に運用したりとしたら、なんか「百合」というジャンルの8割が消えてしまうのではないだろうかという怖さはあります。

元々のベクデルテストっていうのは……。

(以下、ウィキペディア読み上げ

ベクデル・テスト(英: Bechdel Test)とは、ジェンダーバイアス測定のために用いられるテストである。テストではあるフィクションの作品に、最低でも2人の女性が登場するか、女性同士の会話はあるか、その会話の中で男性に関する話題以外が出てくるかが問われる。2人の女性に名前がついていることも時としてテストの条件に付加される。

もともとは映画を評価するために用いられ、現在ではあらゆるフィクションにおいて用いられている。現代の映画の半分程度はこのテストをパスしないと言われており、これは映画産業で働く女性の比率が低いことや、業界人の観客の好みに対する想定ゆえであるとされている。批評家はこのテストは総体として考えた場合は有益だと指摘している。個別の作品については、性差別と無関係な理由でテストをパスしたりしなかったりし得る。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%99%E3%82%AF%E3%83%87%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%86%E3%82%B9%E3%83%88)

 っていうことなんですけど。百合やBLの倫理的なテストっていうのも何でしょうか。言葉ばかりだとか「アンチ表現の自由派」みたいな受け止め方をおそらくされるんですけれども。そういう視点があってもいいんじゃないかな?っていう私の提言でした。

 そのベクデルテスト的なものをパスしなきゃいけないってわけじゃないんですよ。ただこういう視点もあるよっていうのがコミュニティ……ファンダムに導入されることは決して悪いことじゃない。だから、さっき言った「総体として有益」というやつ、になるんじゃないかなと私は勝手に思ってます。これはね、実際に創作する人に聞いてみないと分からないですけど。

 あとはそういう視点が導入されたときに、無心に「ユリセ」って言われるような性的描写を楽しんでいた人にはちょっと受け入れがたい面もあるかもしれないですね。何ていうんでしょうか、頭の中にワーニングが出ちゃうような。ただ、ゲイコミックで良くある「これを実際に実践するとHIV感染の危険性があります」という但し書きみたいなもんで。ちょっと最初は引っかかると思うんです。けど慣れるんじゃないかって。だいたい読み飛ばすでしょ、見飛ばすでしょ、そんなもん。でもなんかそういう小さいストッパーでもいいんじゃないかな、っていうのが、もう、しつこいけど私の意見です。

 ちょっと次回はあの再開した筋トレの話でもしてね。ベクデルテスト的なものの具体的な話はいつになるかはちょっと分からないかもしれないです。友達にも聞いてみたいです。

 長々と。今日なんか人多かったね。67人だって。今は18人もいらっしゃいますけど。本当に長々とありがとうございました。それじゃまた、来週金曜日。またtwitterから告知しますので。また、お会いいたしましょう。じゃあ、皆さま安らかな夜を。お休みなさいませ。

→1時間半話したうちの後半。 2022.3.21配信

 あまりにも本筋から外れた脱線の省略、話を追うのに必要な補足、話の筋の錯綜の編集、冗漫な繰り返しの削除など、手を加えております。

追記:さすがにツイッターで「3P痴漢百合(女子高生)」が流れてきたときはびっくりしました。