モノガタリは現実を喰らう

 よく言われる「創作と現実は違う」ってあるじゃないですか。基本的にオタクの自己弁護の文脈で。ワタシもいい加減オタクな人間なのでオタクたたきがつらい時もあるのですが、ここら辺の創作と現実をすっぱり切って分ける手つきには違和感感じることがあるんですよね。

 「創作と現実が違う」ことの引用として使われるのってゲイ漫画家の田亀源五郎氏のサイトのトップに出てくる「現実と妄想の違いを認識せよ!」ってバナーなんですけど(引用させていただきます http://www.tagame.org/)、ここでの「違い」って創作物に出てくるアンモラルな行為(同性愛がじゃなくてプレイとしてのBDSMの中でも危険な行為)を現実に持ち出して事故とか起こしちゃダメだよ、というもの。ワタシ自身はそういう風に解しているのですが。ツイッターでは恣意に解釈して「二次元と現実は違う(から妄想無罪)」というカンジで非現実的なゲイファンタジーをベラベラ開陳している腐女子(差別的な表現ですけどあえて)がいて、いくら解釈は自由とはいえそれはちょっと……、と思ってしまうことありました。(なぜか様々な表現が打ち寄せられる我がツイッターTL)

 妄想が妄想のまま保持されている分にはいいのでしょうけど、大体が何らかの「表現」として社会に漏れ出してきて現実として現出してきてます。その目の前に「析出されてきたもの」は現実に本当に影響を及ぼさないのだろうか、というのが今回のエントリのキモ。

 で、個人的には「残念ながら創作は現実に影響を及ぼす」と思っています。というのも、わりと大っぴらに自身の「レズビアンである」というセクシャリティを公にカムアウトするようになって再三再四、再五再六……、数えきれないほどシスヘテロ男性と思われる人々から「(性行為について)混ぜて、見せて」言われてきたので。現実にレズビアンが性行為に男性混ぜて「良かった良かった」みたいな話があるとは思えないので、どう考えてもポルノ創作物に影響されてるとしか思えないんですよね。しかも、「ちょっと気の利いた受け答え」かなんかだと思ってるので度し難い。で、こういうこと言うの男性だけじゃないんですよね、女性からも「3P要員」扱いされたこと、こちらは再三程度あるので。なんかさー、って感じです。

 ただ、ここで創作物を滅ぼそうとかワタシは思わないし(という気炎を上げた方が参照数上がるのでうれしい人もいるんだろうけど)、なんならゾーニングもヘタにやるとジャンルが滅ぶと思うんですよね。特に「百合」とか扱われているメイン年代がティーンなので、規制やゾーニングとして「未成年の性的描写」を一律で禁止すると「青い花」ですらゾーニング直行ですよ。

 昔話になりますが、昔「美粋(ミスト)」というレディコミあったんですよ。なぜか1冊まるごと「レズもの」のみという謎の雑誌。で、主にセブンイレブンで売られてたわけなんですけど。記憶は曖昧なのですが、東京都でレディコミに対して何らか締め付けがあった時に真っ先に廃刊になったんですよね。ゾーニングでコンビニ販売をちょっと厳しくするだけで消える表現ってあるんですよ。なので、簡単に「ゾーニング」持ち出すのも悪手になりえます。

 と、まとまらない話になりましたが、次回は「現実はモノガタリを食い潰すのか」を書きたいと思います。

「ブス」という役割 その②

 何度もあちこちで語ってますが、1992年6月6日に「MONALISA」というレズビアン向けのクラブイベント(その後、改称して「GOLD FINGER」)に行ったのがワタシのレズことはじめ。で、これを皮切りに二丁目だの真面目なフェミニズムっぽい集まりだのに行き始めました。いま、ワタシは「つっちー」と名乗ってますが、最初から「つっちー」だったわけじゃなかったのです。このいわゆる「デビュー」当時は本名そのままの「ゆき」を名乗ってたんです。二丁目でよくレズが名乗る通り名というのがあるのですが、ジュンとかユウとかナオとか。それに並んで多いのが「ユキ」でした。どれくらい多いかというと表記違いでもオフ会行くと必ずダブりがいる程度には。

 と、たまたまダブりの多いゆきという名のワタシですが運の悪いことに同じころにデビューしたゆきちゃんがもう一人いました。そんでその子は活発だけど髪が長くてメイクもしてて今でいうフェムっぽい感じ。ワタシはというとショートボブにすっぴんでタチともネコともつかない中途半端な感じでした。ということで、その髪の長いゆきちゃんは「かわいい方のゆきちゃん」ワタシは「そうでない方のゆき」とほんのちょっとの間呼ばれることになって、さすがに嫌すぎるのでつっちーと名乗ることになったのでした。嫌すぎるというか、普通に傷つきますよね。

 おそらく、「そうでない方」と言った人は「かわいいほうのゆきちゃん」の歓心を無理にでもかいたかったのだろうなぁ、と今なら同情まじりに思うことのできるのですが。「タチがネコを選別しようとする」レズビアンのタチ/ネコ文化はなかなか馴染めませんでしたし(今も割と無理)、「典型的にかわいい女の子」であるというのは一般社会で結婚せずに生きていくのを困難にさせました。ので、合理的な判断?としてワタシは「ブスという役割」を引き受けてしまい、それが固定すること数十年。割と最近まで自分が「ブスである」という自意識を持ち続けていました。

「そうでない方」と言われてから約3年後 今見るとたいしてブスでもないと思うんですよねぇ……

 ワタシが「ブスという役割」を捨てたのはほんのここ1年かそこらの話です。ダイエット通じて美容にも気を使い始めて、「アレ? ワタシちょっとイケてんじゃね?」と思えるようになり。もう50歳も超えれば職場のやり取りの中で発生しがちな「異性との結婚」への誘導にもさほどおびえずに済むようになりました。二丁目でも恋愛市場から(不本意ながら)抜け出してるのでワタシをジャッジする人はもういない! ワタシは自由だ!!

 なので、たまーに行き会う感じ悪い古いレズがワタシをブス扱いしてきても、「パードゥン?」という態度取れます。自分を卑下しないで済むのって気分いい!そして、ブス扱いしてきたヤなレズが慌てたりするので。「やっぱりワタシのことホントはブスだと思ってなかったんじゃないか!」って思います。……この一連のワタシの経験、腐った分断統治カルチャーが一部のレズビアンにも浸透してた証左の一つだと思うのですが、レズビアン特有の「タチ/ネコカルチャー」と悪魔合体してたのでややこしかったですよね。(ネコの持つべきジェンダー表現からはみ出すけどタチじゃないのが「ブス」というカンジで)

 と、これだけ読むと、「レズビアンのルッキズムは厳しい! ひどいところだ!」とジャッジする他分野の人がいそうな気がしますが、恋愛からむところでルッキズムのない所は恐らくないし。ゲイのルッキズムに比べるとさほどでもないのではなかろうか……、と個人的には思っています。

 容姿をめぐる分断統治カルチャーですが、この呪いを祓うにはおそらく「ボディポジティブ」が一番のお札になると思います。けど、ワタシは違うルートで楽になったという話。どっとはらい。(これはマジでハッピーエンド)

二丁目レズビアンバーに魅せられて

 こないだはワタシのリブ活動事始めの「LABRYS DASH」の96年創刊号について触れましたが、ワタシが関わっていたのは1~5号まで。辞め(させられた)た理由はというと、内部の人間関係の悪化。わりとワタシは巻き添え食った形だったと記憶しています。当時は「そんなンひどいだろ!」と外部に訴えることもなく、担当していた人にもあいさつすることすら許されずにひっそり辞めたものでした。その頃は波風立たせずに「とにかくDASHに傷が付かなければ」と思ってたので、まあ健気でしたよね。ただ、ここで「追い出され癖」が付いてしまって、しばらく理由にもならないような理由で追い出されることが何回も続きます。ワタシ自身もあきらめが早くなって「ダメだこいつら」と思って気配感じた時点で消えたりするようになってしまいました。この辺はリブの暗部とも言えるかもしれません。

5号表紙 版型変わらずA5中綴じ ページ数はけっこう増えてて表紙込みの52ページに

 と、恨み節っぽくなりましたが、そんな薄暗い活動世界とまた別個で自分の持っている世界が二丁目を中心にして広がる夜のレズビアンシーンでした。活動に傷ついて訪れても夜の世界はいつも優しかったのです。

 というわけで、「勝手に作れば?」みたいな感じで特集記事作成が放り投げられたので、自分の趣味を貫いて、お助けスタッフだったiちゃんも巻き込んで作ったのが「新宿2丁目特集」。ワタシとiちゃんが掛け合い漫才みたいに短文をポンポン交互に書いているのですが。基本的にここから自分の興味や芸風がほとんど変わってなくて「ヒエッ」って感じです。とりあえず、魅力減じますが自分の文章だけ一部再録。ワタシの人生を大きく変えたKINS WOMyNについて。レズビアンの活動シーンを大きく変えたのは掛札さんでしたが、夜のシーンを大きく変えたのはKINSでした。ここからずっとワタシは新宿二丁目のバーシーンに魅惑され続けています。

伝説のと言っても過言ではないKINS WOMyNがトップ記事

KINS WOMyN

わたしは「初めてなんですぅ~」ということにして、いろいろ聞き込もうと企んだのである。もう何度行ったか分からないけど、細い階段を昇っていくときはいつもワクワクする。近づくにつれてダンスミュージックが大きくなり、ドアを開けると音とタバコの煙が頭から浴びせかけられる。その瞬間「つっちー!ひさしぶりじゃーん」……すべての設定は崩れ去った。Taraさん(注)にジントニックを注文しても、「最近よく見るね」。ああ、そうなんです。二丁目は初めてなんて言ったらエンマさまに舌を引っこ抜かれます。さらに奥には昨日もここに来ていた古い友人。奴は失恋したばかりなのだ。二日運続で会ってしまうという所がお互い実にトホホである。友人同士の近況報告やら新しい友人の紹介やら。人の噂話にあくまで憶測、有名人をみかけた話。どんどん人が増えていき、立ち飲みの人でいつばいの溝員電車状態。何だか知らないけれど目ざとい友人に「活動家のつっちーだ」と紹介される。何だそりゃと思うが、何をやっているかと興味を示す人もいる。当然、ダッシュのことを話すが反応がいいので調子に乗って映画祭(注)まで説明をする。ヤケになってサロンポジティプ(注)の営業まで始める。初心者どころか超ベテランって感じ。そんな馬鹿騒ぎの中でまだ慣れてなさそうで壁にもたれて一人で飲んでいる新人さんらしき子がいた。あれはX年前の私だ。みんな友連同士みたいで入り込めなくて。自分から声をかけるなんてできなかった。そんな私が「つっち一つて、どんなセックスしてるの?」と聞かれて、「知りたいんなら寝てみなきゃねー」と私は相手の肩に手を回したりするようになった。思わず遠い目をしてしまったわ。(原文注・Taraさん 店長さん。KINSの別名はTara’s Barという。 映画祭・今号の第2特集参照。 サロンポジティブ・本誌「アクティビスト通信」執筆の溝口さんが主催するサロンパーティー)

(1997年春号3月発行より)

 ひどい。ホントに芸風が変わってない。ワタシの新宿2丁目への思いは同人誌としてまとめている「東京レズビアンバーガイド」にたっぷり書いているので、そちらを参照してもらうとして。ワタシ、いわゆる活動家を長年やってて傷つけられることが本当に多かったんですよ。そんでも、夜の街はいつも優しくて慰められたものです。

 それにしても「活動」って難しいですよ。みんな善意で集まるのですが、方向性や方法論が違うとギクシャクするし、ボランティアだから能力差も隔たりがすごい。ここに金とか金銭以外のプロフィットがあればそれで右向け右ができるのでしょうけど、わりと最近までいわゆる「セクマイ」の活動は100%の手弁当のボランティアで成り立ってたのでそれもできなくて。活動の運営自体が手探りの、いろんなものがゼロからの時代だったと思います。ワタシ、いまだにつらくて思い出したくないことがたくさんあります。

東京セントリズムを脱するために

 地方に住んでいると感じる不満のひとつが「首都圏発の情報ばかり」というのがあると思う。マスコミにおいては本局がだいたい東京にあるし、勤めている人も首都圏出身者が多かったりして「地方」への視線は薄いか、情報を「吸い上げる」対象だったりすることが多いのではと思っている。首都圏で生まれ育つ、ということ自体が権力である、のですが。今回はそこの話はおいておいて、再録を起点にまた昔話をしたいと思います。

創刊号表紙にlesbian&bisexual womyn という表記が見えます 当時の主流表記ですね
表紙込み44ページの中綴じ冊子です それを隔月刊、スタッフ3人という無謀

 ワタシは96年に「LABRYS DASH」というレズビアン&バイセクシャル女性向け(※注1)のミニコミの編集スタッフを務めたときからが自分の「リブ活動」の皮きりだと位置づけています。が、その記念すべき第1号の特集が「つっちーの日本全国ビアン旅」だったのです。これ、この当時は「LABRYS」というミニコミ誌(掛札さん※注2 が主宰してたもので、LABRYS DASHは単なるここの後継誌)の影響で日本各地に当事者コミュニティ的なサークルがぽつぽつできていた時だったんですよ。で、ワタシが実際にそこへ出かけて行ってルポ記事を書くというもの。そのおかげか地方の人たちに「つっちーは地方への目配りのある人」という評価をいただいたのですが、ワタシの記憶ではスーパーバイザー的にダッシュにも関わってくれていた掛札さんに焚きつけられたような記憶があるので、掛札さんの慧眼のおかげだったよなぁ、と今は思います。(当時はアラサーかそこらの若い掛札さんにアドバイス受けるたびに「クッソババア」とか内心思う不遜な若者でした)

特集ページのトップ 広島のサークルの記事は再録してよいものか悩みますのでモザイクらせてください

 特集は広島のサークル「SOUL MATE」、京都のクィアスペース「アートスケープ」、京都大学の「プロジェクトP」、京都のメトロで開催のクラブイベント「CULB LUV +」、大阪の活動グループ「OLP」、大阪のDAWNで開催していたクラブイベント「LESBIAN NIGHT」と紹介が続く。ところどころに麻姑仙女さんや関西クィアフィルムフェス、ドラァグクイーンのメロディアスなどについてのコラムがはさまるボリュームある構成でした。本来なら地方のレズビアンサークルのルポを引くべきかもしれませんが、この頃のミニコミが会員制だったことなどを考えると安易にここに引いていいのか迷います。なので、そのころの当事者が見ても許してくれそうな……、ワタシが当時何を考えていたのか分かりやすい「アートスケープ」の一文を引きます。

京都の奇跡 アートスケープ

 京都大学に程近い木造の一軒家、そこがアートスケープ。
 関西セクシャリティ関連の4つの事務所(エイズポスタープロジェクト(A.P.P.)、関西の映画祭(Q.F.F.)等)が入っていてアーティスティックかつ質の高いものを発信し続けている。また、二階には宿泊所もあって私も二泊お世話になった。……なんて固い紹介は止めにしよう。業界梁山泊といった方がいいかもしれない。
 ゲイバイレズビアンヘテロにその他大勢がああでもないこうでもないと学校の部室のようにたまって雑談をし、マックをいじってポスターを作り、何だか無意味に寝泊まりする人もいるし真面目に細かな手作業をしている脇でただ漫画を読んでいるだけの人がいたり。どんな人が何をしていてもいいですよーという雰囲気。セクシャリティ自体を語るよりもいろんな人がいて(それが当たり前として)その中でどう話して手をつないでいくかが強いところだ。こういう所は東京にもないね。
 終電を逃したといっては別に4つのプロジェクトとは無縁な人もやってきて真夜中まで雑談して帰っていく。雑談にしておくのが惜しい冴えた話もある。それからプロジェクトが生まれてくることもあるんだろう。単に品のないお下劣な下ネタ雑談の時もあり……。すごく力のある真面目なことをやっているのに和気あいあいしてる!
「レズビアンだけ!」と、囲うことでクリアになる問題もあればアートスケープの雑多さで生まれてくるバイタリティーと視野の広さもある。
 私にとってはミックスを推し進めるのは人生の大命題の一つだったのにさ、こんな所がもう存在してたなんて。信じられないような気分だったよ。とにかく啓発されるところざます。近畿の大物はほとんどここにくる。

 と、熱のこもった文章書いてますよね、24年前のワタシ。このあと様々なことがあって、「きちんと考えて対策立てないでミックスやると力の弱い人が追いやられるだけになる上に、『ミックスやった』という言質を悪質な人間に与えるだけ」というのが分かってしまいました。安易なミックスやると一般社会のさらにミニコピー作るだけで人が死にます。つらみ。

 読み返すと、目配りの足りないところがたくさんあります。文章自体も「中黒じゃなくて三点リーダー使えよ!」とかあらが目立つので(さすがに中黒→三点リーダー、ハイフン→長音符に変更かけました)「26歳なんてこんなもんなのか」とかガックリ首が折れますね。といっても、このころのワタシの熱意は本物だったので(当然自腹取材で労力もすべてボランティア)。今の自分ならお小遣いのひとつもあげたいなと思いますよ。あの頃のワタシはレズ受けしやすい容姿だったしね!

 でも、この特集記事のルポを書いたおかげで日本のあちこちに知人友人ができて、それぞれの地方で活動のスタンスや「色合い」が違うことを肌で感じることができました。今現在、東京で成功している方法論をごり押しで地方都市に持ちこもうとする動きがあるというのも伝え聞きますが、何はなくとも活動は「そこに住んでいる人たちのもの」でなければならないと「ワタシは」思いますよ。

※注1 当時はLGBTとかクィアなどの言葉は一般的ではなかったので「レズビアン&バイセクシャル女性」という表記ががもっとも適当だったと思います
※注2 掛札悠子さん まさか掛札さんに注を入れなければいけない時代が来るとは思いませんでした。90年代にカムアウトしてメジャー出版社から書籍を出した人、であるにのみならず、ミニコミ出版、フリースペース創設、講演活動と活動の幅が広く、その影響は大変大きい。書き続けると本文より長くなるのでココ(http://onilez.hatenablog.com/entry/2017/09/20/215332)とか参考にしてください。ワタシはまさにポスト掛札を生きたレズビアンだったと思います。

理解と解釈の間

 ワタシにとって去年読んだ漫画のベストワンは「ヘテロゲニア リンギスティコ」だったのですが。その面白さのコア解説はまたの機会にとっておいて、その作中でとても印象的だった一節。

「私が理解だと思っていたこと 理解ではなく解釈だった 理解への壁は限りなく高い 今後はこの自覚を持って臨む」

ヘテロゲニア リンギスティコ1巻より

 駆け出しの言語学者に託した恩師の覚書の一節なのですが。これ、わりとワタシに響いたんです。レズビアンなんてマイノリティを長年やってると、「解釈」されること多いんです。「どっちが男役?」とかの類の。(もっと下劣なこと言われたりしましたが、今度の「マッハで走る」サイトはもう少し上品に運営しようとおもってますので、おほほ)

「私たちは異性愛者と変わりません!」と言われると「そうか、愛情あって一緒に住んだりするのは自分たちと同じだもんな」と「良心的」なヘテロセクシャルの人は思うようなのですが、そこが一歩目の陥穽。男性と女性とでジェンダー制度で色濃く区分けされている男女という「異種族」がパートナーシップ組むのと我らは違うのですよ。リードする方される方の役割固定はないではないのですけど。その分担はよりゆるいので「男役/女役」と言われても、「は?二人とも女だけど?」というカンジになるし、なんで常に男がリードすんの?って思う。(余談ですが、そのリードするべしという規範の強い男性が料理とか掃除とかで女性に「指導」されるとすぐにすねるのではと思ってます)同じで違うのですが、自分の中に異性愛の世界しか存在せず、分からないことを「自分」に引き付けて「分かろう」とする人はこの手の間違い犯しがちです。

 とはいっても、自分の世界にないものとか知識の薄いものについては同じような間違いを犯すものですよ。アナタもワタシも。人である以上。ワタシがその愚を犯した記録が以下。

その4:ボーイズ ドント クライ 雑感

 大分、前になるが、話題のこの映画、見に行きました。(いつだったっけ?>毛玉クン)
 残念なことに実録モノの「ブランドン・ティーナ ストーリー」を東京の映画祭で先に見てしまったワタシ。こちらの方の感想としては「ブランドン君ってバカな子」だった。何もワザワザ田舎に行かなくてもいいだろーに。60年代なら純粋な悲劇だったかもしれないが、90年代でアレはないだろー、と思ってしまったのだった。そして、ブランドン君が本当にTSなのか、大いなる疑惑を持ったのであった。(だってさぁ、クソ田舎で「女役割」にはまりきれないからって、いきなり「自分はGIDである」って決め込んじゃう子ってよくいるもん)
 んで、本編。ヒラリー・スワンクの熱演は素晴らしい!さすがアカデミー女優。だけどねぇ、ジェンダーズ・アウトローな人々を見慣れているワタシの目には、ブランドン君が「パス」するってーのが信じ難かった。つーか、いがちなタッちゃん。ヒジョーに女心をくすぐる手管の数々。「アンタ!女心ワカり過ぎ!!」と何度スクリーンにツッコミを入れたことか。(ヤッパリこちらを先に見ておくべきだった)
 ストーリーはさくさく進み、「ツライ」と話題だったレイプシーンもあっさり見ることができました(ワタシってヤバいかなぁ?)。
 ワタシの心を打ったのは、追われるようにして知人の納屋に寝泊りするようになったブランドン君のもとに恋人のラナが現れる。そして、ブランドン君、初めて服を脱いでカノジョとセックスする。ここでワタシは「ブランドン君、自分があるがままの女であることを受け入れたのね。良かったわぁ」そーゆー感覚で見てしまったのだ。
 真実のティーナ・ブランドンのセクシュアリティは分からない。しかし、映画ではブランドン君が「性同一性障害」である前提で作ってあったはずだった。でも、ワタシは「レズタチ、ジェンダーの揺らぎとレズビアン性の獲得」という解釈を無意識で行った。というか、そうやって観るのがワタシにとって自然だった。
 ワタシはレズビアンとしてのフレームから逃れることができないのだろうか。ノンケのバカさ加減にげんなりするワタシも見慣れぬものには、自分のフレームでしかモノを見ない。それを痛感した。(2000.9.14)

 というカンジでトランス男性の話を「レズ映画」として鑑賞してしまうというヤバいやつでした、ワタシは。まあ、そのヤバさを自覚してこんな文章をサイトに上げたり、当時友人のMtFに懺悔をしたりしたのですが。まだ隣接領域だから気づけたもののヤバかったですね。

※注 「ボーイズドントクライ」は1999年の映画。トランス男性(当時はこの表現はほぼなくて、性同一性障害概念が優位でした)がヘイトクライムで亡くなった実話をもとにしている。主演のヒラリー・スワンクはこの映画でアカデミー主演「女優」賞などとってます。恋人役のラナはクロエ・セヴィニー。それなりの予算感をもってハリウッドでトランスジェンダーの映画が作られたはしりだと思います。
「ブランドン・ティーナ・ストーリー」はその実話のドキュメント。再録の文章の通り、2000年の東京国際レズビアン&ゲイ映画祭(現レインボーリール東京)で上映されてます。映画祭といえば、2001年のサイトの「クイア デ ポン」というコーナーに「ボーイズドントクライ」のひどい感想寄せてます。あそこは古いサイトもそのまま残してくれているという貴重なアーカイブになっていて今でも読めます。リンクはこちらhttps://rainbowreeltokyo.com/2001/qdp/boys.html
さらに注ですが文中の「毛玉クン」というのは当時付き合っていた子です。ウッ

 こういう「間違った解釈」をどうすれば避けられるのかというと、冒頭の恩師の覚書の「この自覚を持って臨む」しかないのですが、それは心構えの話で、実際にはどうしたらよかろうかという。

 ワタシは個人的には理解できないことに直面したら当面「そうなんだー」で良いと思ってるんですよ。分からないものはあるがままに世界にある。まずそれを頭にしっかり入れておくのが大事なのではと。何でもかんでも「自分のことだと思って考える」のは違うと思いますね。そういう思考は公園の砂場でおもちゃを横取りしたこどもに「相手の気持ちになって考えなさい」っていうレベルの話で。大人は大人の理解があると思います。「自分の身になる」って結局は己のフレームから離れられないし。大人には大人の抽象的な思考があると思いますよ。そこへの扉の第一歩が「そうなんだー」なのではと。同性愛者と異性愛者は同じで違う。偉大な第一歩から地道に共通点を抽出したり、異質な部分を感じ取っていくのが大人の理解だと思いますね、ワタシは。

顔の見えるワタシと実在担保性

 2000年当時からインターネットという電子の海にポートレート写真を放流していた向こう見ずなアラサーのワタシでした。ただ、インターネットにつなげることができる人がとても少なく、さらにそこに自分の意見を書き連ねることはもっと難しい時代でもありました。(単なる「ブス」という罵倒も含めて)ワタシが顔写真を出すというのはカムアウトも兼ねてしまうのですが、あんまり心配はしてませんでしたねー。(レズ出会い系に他人が拝借してるのを発見して取り下げたのですが)今思えば牧歌的な時代でした。

過去のサイトの初代ポートレート画像

 そんなワタシが書いたテキストが以下。

その9:顔の見えるワタクシ

 このサイトを開いて20日間ばかりですが、カウンターが700を超えていて恐ろしいですね(笑)。一体誰が見てるんでしょう?ワタシはすでに何回も地雷を踏んでいるので、嫌がらせメールとかボード荒らしとかが現れるものと思ってたのですが、あまりに平穏で物足りません(小マジ)。
 で、ふと思いました。ホントはスゲーむかついてる人たちがいて、『あんなコト言ってるヤツなんて、ブスに決まってるわ』と、仲間内で言い合っているかもしれない!急にムカ入って、写真をアップしてみました(笑)。アレだけのことを書いているので、「逃げも隠れもしないぜ!(ファイティングポーズで)」という意思表明でもあるのですが、やはり反応がありません。せめて「オナペットにしました」という書き込みでもいいから何とかなりませんかね?
 関西WEでこの話をすると、「怖くて書き込みとかできないんでしょ」もしくは「ケンカするにも相手を見る」という評をいただきました。確かに「鬼」を自称してますから恐ろしげですが、ツレヅレの内容を読めば、ワタシがヘナレズであることは一目瞭然です。それで、「ケンカを売るにも足りない」なんて思われているのでしょうか?それとも写真があまりにブスだったので発言する気力が失せたんでしょうか(ひぃ)。
 あれこれ考えているウチに「顔出しって失敗だったかも」という結論に達しつつあります。春乃かおりがあんなにバカなのに需要があるのはカムアウトの正義が働いているからだと思います。でも、匿名性を保ったままの冷静な議論というものもできるはずですがねぇ。一人でヤーな気分になってたり、友人、恋人とワタシの悪口を言い合うくらいなら鬼が島へ!今のところは鬼が島の書き込みって、ほとんど身内なので、純粋な反応というのはイマイチ分かりませんから。
 で、今、思いついた一つの原因が……「掲示板がプロすぎる」。業界に名を馳せてらっしゃる方のご来駕が多いということで敷居が高いんでしょうか。うーむ。(2000.9.26)

 インターネット炎上の怖さを分かってない!! (ないものは怖がれないという)今思えば、「ブスだからそれがどうした」という話ですが。この頃から何か活動でも何でも目立つことをする奴はブスという根強い呪いがあるのが見て取れますね。いや、ホントに他人の顔面がどんな出来かなんてどうでもよくね?

 と、いうか、ここで書きたかったのは「顔出し」とか「カムアウト」が生む権力性ですね。そりゃ、電子の海の中のどこのだれか分からない人が書いてることよりも実在に結びついている人の言ってることの方が信用される。そりゃ、「責任を取る」ことができるし求めることもできるのだから仕方がない。とはいえ、匿名性を保っている意見をことさらに軽視したり、ないがしろに扱うのは違うんじゃねーの?という話。なんか、そういう危険性を2000年当時から感じていました。

 ちなみに文中の春乃かおりってSPA!とかに出てたレズタレントの走りなのですが、コミュニティの情報をピックアップしては小バカにするという最低なゲイ風で、学生サークルの抗議もガン無視の上、引退して男と結婚して逃げ切るというクソオブクソでした。顔出しカムアウトの先駆者がこんなだなんて日本のレズビアンの歴史上での超汚点ですよ。ほぼ忘れ去られてますが。ワタシは忘れない!!

 カムアウトの権威性はそんな風に問題なのですが、そこに容姿の良さが乗っかると「は?」ってことが「いい話」として流れてきて消費されてたりするので震撼しますね。また反面、匿名でも耳を傾けよう!……とはいえども、肝心の言ってることがクソだったら取り合う価値ないです。実害出たら通報&情報開示一択ですが。出会い掲示板に名前を変えつつ常駐しているバカと変わんないですよ。滅びよ。

ワタシは「ありのまま」がきらいです

 ありのままの情念ほとばしるサイトを再開しておいて嫌いも何もないもんだとは思いますが、ワタシは「ありのまま/自分らしく」という言葉にベッタリと貼りついた甘えが嫌いです。ありのまま、と一言で言っても「どのレイヤーでのありのまま」なのかは判定難しいのですが。ワタシが嫌いなのは2001年の夏に書いたようなこれ。パレードの実行委員の業務さなかで忙しかったはずなのに何を書いてたんだろうワタシ。よほど腹に据えかねたことがあったのだろうけど、忘れてしまっているので今のワタシにとっては大したことではなかったのでしょう。

その41:「自分らしく」の甘い罠 

 変態サイト(ココ含む)を渡り歩いてよく目にするのが「レズとかバイとか、男とか女とか関係ない!ワタシはワタシらしく在ればいいんだ!」という主張。うなずきかけて、「なんか違う」と傾きかけた首を戻すということが何度もある。
 自分にひきつけて考えれば、ワタシは「自分らしくありさえすればいい」という境地には全く至っておりません。カテゴライズはありとあらゆるメンドウな問題(グラデーションの分断、同一カテゴリー内での差異の消滅、うさんくさい連帯感など)を引き連れてはきますが、ラベリングから発生するプライド、そこから巻き起こる運動、それも大事だと思うのでっす。今だワタシはレヅとして生活し、レヅとして生活できず、レヅとして活動し、ゆえに挫折しつづけているのです。自分らしくあろうとしても、出社する時は、髪の色が明るすぎやしないか、短すぎやしないか、服がカジュアルすぎないか、そんなくだらないことに縛られています。
 確かに、「自分は自分よ!」と、言えるのはカッコイイ。まろうさんなんかがそういうカンジで生きていってるのはすんげー憧れる。いつかワタシもかくありたい。
 ただ、サイトに溢れる「自分らしく」の中の「自分」がどの程度、充実したものかは疑問が多い。人間誰しも確固として揺るぎのない自分らしさの種、は持っているけれども、芽生えさせるのにはそれなりの経験や思考が必要だと思うから。
 飲み屋で「自分は自分だから」と思考を放棄して、口半開きで女のケツを追いかけているレズには説教のひとつもしたくなる(ホントはしません)鬼レヅではあります。
 ホントは深い問題だけど、今回はさらっとね。長いこと徒然書いてなかったから、ネタがたまっていますのよ。(2001.8.13)

 もう20年近く前に書いたテキストだけど、そんな外したことは書いてなかったなぁと思います。ただ、流行の言い回しが「自分らしく」から「ありのまま」に変容しただけで。(だいたいアナ雪のせい)思考をしない「ありのまま」ってただただ野放しの欲望があるだけで、人に対して負担を強いるものが多い。互いに「ありのまま」を垂れ流し合えればそれはそれで良いのかもしれませんが、たいてい立場の弱い人によりその負担がのしかかるじゃないですか。やだー。

 オノレの心地よい「自分らしさ」とか「ありのまま」がなんで心地よいのか考えないと人に迷惑がかかるし、何よりカッコよくないよ、という話でした。

 まあ、ワタシも怒りや悲しみのおもむくままにTwitterではありのままのレズおばさんなワケなんですが。昔よりはかなり抑制が効くようになったとはいえ。気をつけねば。

#おうちでパレード ?

 ワタシはパレードにはいろいろな思いがある。その辺をつらつら語ると煩雑すぎるし、誰も読まないと思うので昔のサイトに書いた文章を引用しようと思う。昔、100近く書き散らしていた「鬼の徒然」というコーナーのエッセイの1つ、ワタシが実行委員を務めた2001年の秋のテキストだ。(昔の東京のパレードは真夏に開催されていた)

その45:パレード雑感 

 本当のことを言います。ワタシはパレードに参加して「心から楽しい」と思ったことは実は一度もありません。がーん。今に至るまでの参加歴一覧を下に示します。
南パレードの第1回 国際ビアン連盟の下働き
(このときが一番楽しかった。でも、下働きってトコロで不完全燃焼)
南パレードの第2回 UC-GALOP(UPPER CAMPの前身)の一員
(当時のカノジョと離れ離れで参加、かつミックスの限界を見る)
南パレードの第3回 ミニコミLABRYS DASHの取材
(世にも恐ろしい「レズのくせに」発言のために楽しいドコロではない)
砂川パレード 一般参加者として撮影禁止ゾーンを歩く
(昨年の徒然を参照、とてつもない虚脱感に襲われる)
福島パレード 実行委員
(写真撮影のために最初の300mだけ歩いて、ソッコーUターン)
 まあ、実行委員ってことで、みなさまに参加して欲しいってのが本音でした。とはいえ、「参加することが正義だ!」つー中心教義があるようなサイトにウチがなるのもヤでした。ワタシ自身がパレードについては複雑な思いを抱いていましたから。
 でもでも、何でワタシがパレード実行委員をやったかといえば、パレードがどーしたって業界最大イベントである事実はゆるぎないからです。パレードについてあーじゃこーじゃと世の片隅で吠えてもパレードはなくなりません。だったら、乗っかってワタシが思うところの「一番お得」な姿にパレードを近づけるのがいいんではないか、と。 実際、パレード効果はすんごいです。「実行委員」の肩書きでいろんなことができます。プロのイラストレーターもタダで描いてくれるし、ミニコミが喜んでスペースを割いてくれるし、ボランティアさんも言う通りに動いてくれます。「ワタシってスゲエ?」って思い込みそう。これで、昔っからホソボソとミニコミや個人サイトで文章書いたりする零細活動をしてなければ、ウッカリ勘違いしそうなほどです。ちなみにスゲエのはパレードであって、委員ではありません。チーン。
 正直、途中で怖くなった。コミュニティのあちこちが協力体制に入っていくので、「パレードファシズム」に荷担してしまっているのではないかと空恐ろしくなりました。ホントにコミュニティのためになるムーブメントなのか何度も自省しました。ちゅーても、「パレードはハッピー!」とかって対外的には言ってましたが。てへ、二枚舌。 今後、とんでもない事件でも起こらない限りパレードは膨張傾向を続けていくだろう。世の流れがそれを望んでいる。ただ、パレード的なものとそうでないものとの溝がどのように変化してゆくか、ワタシはそれが気になる。
 とどのつまり、ワタシは「パレード的なもの」には与するのだが、「パレードそのもの」には乗り切れない、んである。(2001.9.25)

 ワタシ、日本で初めてと言われるパレードにも参加してたんですよ。国際ビアン連盟というグループのパフォーマンスのお手伝いとして。先導のフロート(というかバンに乗って曲が変わるごとに小道具のフラッグやセンスを渡したりキッカケ出したりする。Nさんと一緒にやってたんですよ。こういう細かい事柄も注釈しないと意味が分からないほど時間は経ちましたね。2001年のころは注釈も何もなくても自明のことだったのですが。

 再録のエッセイですが、今読み返すと実行委員までやっておいてこの冷めっぷり。わりと昔のレズビアンの参加者はこういう保留を置いた感覚を共有していた気がします。「私たちのお祭りだけど、私のお祭りじゃない」というか。

 世代的な隔たりを説明するのってホントに難しいですね。この頃関わってた人たちはあんまり、というより全然キラキラしてなかったし、ほこりっぽくて汗臭かった。映画祭のスタッフの方がはるかにオシャレで人員も確保できていた。どこも一般企業はスポンサーになるわけないし、二丁目もまだまだ冷たかった。そんな時代のパレード前世紀、パレードに参加するのはそうそう(気持ちの上では)簡単なことじゃなかった。ワタシがサングラスを外して参加するようになるのもだいぶ後だったはずです。

 その気持ちはコロナ禍吹き荒れるこの世界でオンラインでパレードに対して賛意を示すものとは異質ではないにせよ、大きく違っていたのだと思います。

「鬼レズはマッハで走る」に思う

 昔のサイトの再録サイトを独自ドメインまで取って立ち上げたわけですが、なんで今さらこんなものをやってるかというと。「要望が多かったから」の一言に尽きます。特に若年のフェミニスト。「話にはちらちら聞いていたんですが、つっちーさんが鬼レズなんですね」と、しみじみ言われたりして。すでに過去サイトを置いていたジオシティーが消滅して1年以上経ちますし、気になったことを参照しようがなかったみたいですね。(すぐにグーグル様に聞いてみたりすることがデジタルネイティブ世代だなぁと思います)

 んで、ワタシは自分の必要だと思う必然と好奇心に駆られて「東京レズビアンバーガイド」をシリーズで同人誌にしているのですが(シリーズその3がまだ残部多いので誰か買ってください)、それは未来へのアーカイブとしてやってました。ワタシが死んだ後でも紙の本がしかるべきところにあれば、誰か今はまだ産まれてもいないかもしれないレズビアンの研究者がいつか見てくれるのではと。でも、このところの若い人の話を聞いていたら、同時代の参照性も大事だよなぁと。

 ワタシが若いころから言われていたのが「レズビアンの活動はいつも更地」。過去の参照がなく、イチから切り開かなきゃいけないことを自嘲してそう言われていたのですが。まあ、ワタシが活動を始めた90年代から四半世紀が立っているわけだし、悪しき先例も含めて参照するところがあるのも悪いことではないのではないかと。正直、レズビアンの活動の中でフェミニズムがここまで退潮してしまったことは「退歩」であると個人的には思っています。(と、マイルドな書き方を覚えた鬼レズ51歳)

 幸か不幸か、腰の据わらない活動スタイルを貫いてきていたので紹介できることはかなり多いと自負しております。

 このサイトもかつての「レズビアンはマッハで走る」のように消滅する日が来るでしょう。それでも同時代のレズビアンたちやその他の人たちが多少参照してくれればいいなと思いつつ。

(「鬼レズ」廃業したんじゃないのー?と突っ込まれそうですが。結局、この二つ名はどこまで行っても付いて回るのを痛感しています。ちょっとフェミっぽいとこなら若い子でもそれなりに知ってたりするし、何より出会い系でバレると逃げられるんですよー。ホントに。と、古い感じのオチを付けないと気が済まないのが旧世代)