ワタシは「ありのまま」がきらいです

 ありのままの情念ほとばしるサイトを再開しておいて嫌いも何もないもんだとは思いますが、ワタシは「ありのまま/自分らしく」という言葉にベッタリと貼りついた甘えが嫌いです。ありのまま、と一言で言っても「どのレイヤーでのありのまま」なのかは判定難しいのですが。ワタシが嫌いなのは2001年の夏に書いたようなこれ。パレードの実行委員の業務さなかで忙しかったはずなのに何を書いてたんだろうワタシ。よほど腹に据えかねたことがあったのだろうけど、忘れてしまっているので今のワタシにとっては大したことではなかったのでしょう。

その41:「自分らしく」の甘い罠 

 変態サイト(ココ含む)を渡り歩いてよく目にするのが「レズとかバイとか、男とか女とか関係ない!ワタシはワタシらしく在ればいいんだ!」という主張。うなずきかけて、「なんか違う」と傾きかけた首を戻すということが何度もある。
 自分にひきつけて考えれば、ワタシは「自分らしくありさえすればいい」という境地には全く至っておりません。カテゴライズはありとあらゆるメンドウな問題(グラデーションの分断、同一カテゴリー内での差異の消滅、うさんくさい連帯感など)を引き連れてはきますが、ラベリングから発生するプライド、そこから巻き起こる運動、それも大事だと思うのでっす。今だワタシはレヅとして生活し、レヅとして生活できず、レヅとして活動し、ゆえに挫折しつづけているのです。自分らしくあろうとしても、出社する時は、髪の色が明るすぎやしないか、短すぎやしないか、服がカジュアルすぎないか、そんなくだらないことに縛られています。
 確かに、「自分は自分よ!」と、言えるのはカッコイイ。まろうさんなんかがそういうカンジで生きていってるのはすんげー憧れる。いつかワタシもかくありたい。
 ただ、サイトに溢れる「自分らしく」の中の「自分」がどの程度、充実したものかは疑問が多い。人間誰しも確固として揺るぎのない自分らしさの種、は持っているけれども、芽生えさせるのにはそれなりの経験や思考が必要だと思うから。
 飲み屋で「自分は自分だから」と思考を放棄して、口半開きで女のケツを追いかけているレズには説教のひとつもしたくなる(ホントはしません)鬼レヅではあります。
 ホントは深い問題だけど、今回はさらっとね。長いこと徒然書いてなかったから、ネタがたまっていますのよ。(2001.8.13)

 もう20年近く前に書いたテキストだけど、そんな外したことは書いてなかったなぁと思います。ただ、流行の言い回しが「自分らしく」から「ありのまま」に変容しただけで。(だいたいアナ雪のせい)思考をしない「ありのまま」ってただただ野放しの欲望があるだけで、人に対して負担を強いるものが多い。互いに「ありのまま」を垂れ流し合えればそれはそれで良いのかもしれませんが、たいてい立場の弱い人によりその負担がのしかかるじゃないですか。やだー。

 オノレの心地よい「自分らしさ」とか「ありのまま」がなんで心地よいのか考えないと人に迷惑がかかるし、何よりカッコよくないよ、という話でした。

 まあ、ワタシも怒りや悲しみのおもむくままにTwitterではありのままのレズおばさんなワケなんですが。昔よりはかなり抑制が効くようになったとはいえ。気をつけねば。