二丁目レズビアンバーに魅せられて

 こないだはワタシのリブ活動事始めの「LABRYS DASH」の96年創刊号について触れましたが、ワタシが関わっていたのは1~5号まで。辞め(させられた)た理由はというと、内部の人間関係の悪化。わりとワタシは巻き添え食った形だったと記憶しています。当時は「そんなンひどいだろ!」と外部に訴えることもなく、担当していた人にもあいさつすることすら許されずにひっそり辞めたものでした。その頃は波風立たせずに「とにかくDASHに傷が付かなければ」と思ってたので、まあ健気でしたよね。ただ、ここで「追い出され癖」が付いてしまって、しばらく理由にもならないような理由で追い出されることが何回も続きます。ワタシ自身もあきらめが早くなって「ダメだこいつら」と思って気配感じた時点で消えたりするようになってしまいました。この辺はリブの暗部とも言えるかもしれません。

5号表紙 版型変わらずA5中綴じ ページ数はけっこう増えてて表紙込みの52ページに

 と、恨み節っぽくなりましたが、そんな薄暗い活動世界とまた別個で自分の持っている世界が二丁目を中心にして広がる夜のレズビアンシーンでした。活動に傷ついて訪れても夜の世界はいつも優しかったのです。

 というわけで、「勝手に作れば?」みたいな感じで特集記事作成が放り投げられたので、自分の趣味を貫いて、お助けスタッフだったiちゃんも巻き込んで作ったのが「新宿2丁目特集」。ワタシとiちゃんが掛け合い漫才みたいに短文をポンポン交互に書いているのですが。基本的にここから自分の興味や芸風がほとんど変わってなくて「ヒエッ」って感じです。とりあえず、魅力減じますが自分の文章だけ一部再録。ワタシの人生を大きく変えたKINS WOMyNについて。レズビアンの活動シーンを大きく変えたのは掛札さんでしたが、夜のシーンを大きく変えたのはKINSでした。ここからずっとワタシは新宿二丁目のバーシーンに魅惑され続けています。

伝説のと言っても過言ではないKINS WOMyNがトップ記事

KINS WOMyN

わたしは「初めてなんですぅ~」ということにして、いろいろ聞き込もうと企んだのである。もう何度行ったか分からないけど、細い階段を昇っていくときはいつもワクワクする。近づくにつれてダンスミュージックが大きくなり、ドアを開けると音とタバコの煙が頭から浴びせかけられる。その瞬間「つっちー!ひさしぶりじゃーん」……すべての設定は崩れ去った。Taraさん(注)にジントニックを注文しても、「最近よく見るね」。ああ、そうなんです。二丁目は初めてなんて言ったらエンマさまに舌を引っこ抜かれます。さらに奥には昨日もここに来ていた古い友人。奴は失恋したばかりなのだ。二日運続で会ってしまうという所がお互い実にトホホである。友人同士の近況報告やら新しい友人の紹介やら。人の噂話にあくまで憶測、有名人をみかけた話。どんどん人が増えていき、立ち飲みの人でいつばいの溝員電車状態。何だか知らないけれど目ざとい友人に「活動家のつっちーだ」と紹介される。何だそりゃと思うが、何をやっているかと興味を示す人もいる。当然、ダッシュのことを話すが反応がいいので調子に乗って映画祭(注)まで説明をする。ヤケになってサロンポジティプ(注)の営業まで始める。初心者どころか超ベテランって感じ。そんな馬鹿騒ぎの中でまだ慣れてなさそうで壁にもたれて一人で飲んでいる新人さんらしき子がいた。あれはX年前の私だ。みんな友連同士みたいで入り込めなくて。自分から声をかけるなんてできなかった。そんな私が「つっち一つて、どんなセックスしてるの?」と聞かれて、「知りたいんなら寝てみなきゃねー」と私は相手の肩に手を回したりするようになった。思わず遠い目をしてしまったわ。(原文注・Taraさん 店長さん。KINSの別名はTara’s Barという。 映画祭・今号の第2特集参照。 サロンポジティブ・本誌「アクティビスト通信」執筆の溝口さんが主催するサロンパーティー)

(1997年春号3月発行より)

 ひどい。ホントに芸風が変わってない。ワタシの新宿2丁目への思いは同人誌としてまとめている「東京レズビアンバーガイド」にたっぷり書いているので、そちらを参照してもらうとして。ワタシ、いわゆる活動家を長年やってて傷つけられることが本当に多かったんですよ。そんでも、夜の街はいつも優しくて慰められたものです。

 それにしても「活動」って難しいですよ。みんな善意で集まるのですが、方向性や方法論が違うとギクシャクするし、ボランティアだから能力差も隔たりがすごい。ここに金とか金銭以外のプロフィットがあればそれで右向け右ができるのでしょうけど、わりと最近までいわゆる「セクマイ」の活動は100%の手弁当のボランティアで成り立ってたのでそれもできなくて。活動の運営自体が手探りの、いろんなものがゼロからの時代だったと思います。ワタシ、いまだにつらくて思い出したくないことがたくさんあります。

東京セントリズムを脱するために

 地方に住んでいると感じる不満のひとつが「首都圏発の情報ばかり」というのがあると思う。マスコミにおいては本局がだいたい東京にあるし、勤めている人も首都圏出身者が多かったりして「地方」への視線は薄いか、情報を「吸い上げる」対象だったりすることが多いのではと思っている。首都圏で生まれ育つ、ということ自体が権力である、のですが。今回はそこの話はおいておいて、再録を起点にまた昔話をしたいと思います。

創刊号表紙にlesbian&bisexual womyn という表記が見えます 当時の主流表記ですね
表紙込み44ページの中綴じ冊子です それを隔月刊、スタッフ3人という無謀

 ワタシは96年に「LABRYS DASH」というレズビアン&バイセクシャル女性向け(※注1)のミニコミの編集スタッフを務めたときからが自分の「リブ活動」の皮きりだと位置づけています。が、その記念すべき第1号の特集が「つっちーの日本全国ビアン旅」だったのです。これ、この当時は「LABRYS」というミニコミ誌(掛札さん※注2 が主宰してたもので、LABRYS DASHは単なるここの後継誌)の影響で日本各地に当事者コミュニティ的なサークルがぽつぽつできていた時だったんですよ。で、ワタシが実際にそこへ出かけて行ってルポ記事を書くというもの。そのおかげか地方の人たちに「つっちーは地方への目配りのある人」という評価をいただいたのですが、ワタシの記憶ではスーパーバイザー的にダッシュにも関わってくれていた掛札さんに焚きつけられたような記憶があるので、掛札さんの慧眼のおかげだったよなぁ、と今は思います。(当時はアラサーかそこらの若い掛札さんにアドバイス受けるたびに「クッソババア」とか内心思う不遜な若者でした)

特集ページのトップ 広島のサークルの記事は再録してよいものか悩みますのでモザイクらせてください

 特集は広島のサークル「SOUL MATE」、京都のクィアスペース「アートスケープ」、京都大学の「プロジェクトP」、京都のメトロで開催のクラブイベント「CULB LUV +」、大阪の活動グループ「OLP」、大阪のDAWNで開催していたクラブイベント「LESBIAN NIGHT」と紹介が続く。ところどころに麻姑仙女さんや関西クィアフィルムフェス、ドラァグクイーンのメロディアスなどについてのコラムがはさまるボリュームある構成でした。本来なら地方のレズビアンサークルのルポを引くべきかもしれませんが、この頃のミニコミが会員制だったことなどを考えると安易にここに引いていいのか迷います。なので、そのころの当事者が見ても許してくれそうな……、ワタシが当時何を考えていたのか分かりやすい「アートスケープ」の一文を引きます。

京都の奇跡 アートスケープ

 京都大学に程近い木造の一軒家、そこがアートスケープ。
 関西セクシャリティ関連の4つの事務所(エイズポスタープロジェクト(A.P.P.)、関西の映画祭(Q.F.F.)等)が入っていてアーティスティックかつ質の高いものを発信し続けている。また、二階には宿泊所もあって私も二泊お世話になった。……なんて固い紹介は止めにしよう。業界梁山泊といった方がいいかもしれない。
 ゲイバイレズビアンヘテロにその他大勢がああでもないこうでもないと学校の部室のようにたまって雑談をし、マックをいじってポスターを作り、何だか無意味に寝泊まりする人もいるし真面目に細かな手作業をしている脇でただ漫画を読んでいるだけの人がいたり。どんな人が何をしていてもいいですよーという雰囲気。セクシャリティ自体を語るよりもいろんな人がいて(それが当たり前として)その中でどう話して手をつないでいくかが強いところだ。こういう所は東京にもないね。
 終電を逃したといっては別に4つのプロジェクトとは無縁な人もやってきて真夜中まで雑談して帰っていく。雑談にしておくのが惜しい冴えた話もある。それからプロジェクトが生まれてくることもあるんだろう。単に品のないお下劣な下ネタ雑談の時もあり……。すごく力のある真面目なことをやっているのに和気あいあいしてる!
「レズビアンだけ!」と、囲うことでクリアになる問題もあればアートスケープの雑多さで生まれてくるバイタリティーと視野の広さもある。
 私にとってはミックスを推し進めるのは人生の大命題の一つだったのにさ、こんな所がもう存在してたなんて。信じられないような気分だったよ。とにかく啓発されるところざます。近畿の大物はほとんどここにくる。

 と、熱のこもった文章書いてますよね、24年前のワタシ。このあと様々なことがあって、「きちんと考えて対策立てないでミックスやると力の弱い人が追いやられるだけになる上に、『ミックスやった』という言質を悪質な人間に与えるだけ」というのが分かってしまいました。安易なミックスやると一般社会のさらにミニコピー作るだけで人が死にます。つらみ。

 読み返すと、目配りの足りないところがたくさんあります。文章自体も「中黒じゃなくて三点リーダー使えよ!」とかあらが目立つので(さすがに中黒→三点リーダー、ハイフン→長音符に変更かけました)「26歳なんてこんなもんなのか」とかガックリ首が折れますね。といっても、このころのワタシの熱意は本物だったので(当然自腹取材で労力もすべてボランティア)。今の自分ならお小遣いのひとつもあげたいなと思いますよ。あの頃のワタシはレズ受けしやすい容姿だったしね!

 でも、この特集記事のルポを書いたおかげで日本のあちこちに知人友人ができて、それぞれの地方で活動のスタンスや「色合い」が違うことを肌で感じることができました。今現在、東京で成功している方法論をごり押しで地方都市に持ちこもうとする動きがあるというのも伝え聞きますが、何はなくとも活動は「そこに住んでいる人たちのもの」でなければならないと「ワタシは」思いますよ。

※注1 当時はLGBTとかクィアなどの言葉は一般的ではなかったので「レズビアン&バイセクシャル女性」という表記ががもっとも適当だったと思います
※注2 掛札悠子さん まさか掛札さんに注を入れなければいけない時代が来るとは思いませんでした。90年代にカムアウトしてメジャー出版社から書籍を出した人、であるにのみならず、ミニコミ出版、フリースペース創設、講演活動と活動の幅が広く、その影響は大変大きい。書き続けると本文より長くなるのでココ(http://onilez.hatenablog.com/entry/2017/09/20/215332)とか参考にしてください。ワタシはまさにポスト掛札を生きたレズビアンだったと思います。

ステイホームで買ってよかったもの(お気持ち編)

 ブログとしては長い文章になったのでちょっと無理してふたつに分けました。コレ、お気持ちなの?というものもありますが、お気持ちってことで。

①筋トレセット(リーディングエッジベンチ&アイロテック20kgダンベルセット)

本文ではベンチとダンベルあれば大体何とかなるとか言ってますが、ベルトやグローブやサプリメントあった方がはかどります

 ツイッターの方を見ている方には説明いらないとは存じますが、ワタシはしばらくダイエット&ボディメイクのためにジム通いをしていまして。ジム休館に伴い、せっかく練り上げた筋肉失うのも悲しいので。ベンチとダンベルあれば大体のことはできます。お友達がダンベルくれるというのでベンチを速攻でぽちりました。この後、筋トレグッズがどこもカラッカラに売り切れましたので、ワタシは運が良かった。男性だと片手10kgのダンベルは軽すぎると思いますが、女性ならぼちぼちの重さですね。これで最低限の健康保ててると思います。筋トレ自体のやり方についてはYouTube見るか何かしてください。(おそらくそのうち書くとは思いますが)ベンチはフラットベンチですが、足を折りたためるので場所はそんなに取りません。ダンベルもプレートを付け外しするものなので以下同文。それより、ワタシの部屋の「オメー、運動するような人間じゃないだろ」感強い中で存在感放ってるのを何とかしたいです。それにしてもジムの休館はまだまだ続くようなので、バーベルまで買おうかどうかと悩んでおります。(6月1日より再開の模様)

②電気ケトル&コーヒードリップセット(ドリテックステンレスポット&ハリオV60)

 家にいる時間が長いとなれば、ゆっくりコーヒーでも飲みたいもの。で、気楽に買ってみたのですが、すごく良いですね。何でもっと早く買わなかったのかと後悔するレベルで。特に電気ケトル。当然、コーヒー紅茶も良いのですが、白湯をたくさん飲めるのが良いです。白湯はいいですよ、カロリーゼロだし。もしかしたら小さなレトルト物なら温められるのではないかなぁ。唯一欠点はステンレスの表面にワタシが映り込んでしまいSNSに食卓写真を上げにくくなったことくらいでしょうか。

③タイパンツ(マーライ・赤)

 家ではゆったりしてたいけどジャージやスウェットはちょっとねという諸姉におススメ。もともとワタシは自分でタイパンツ縫ってたのですが、物によっては生地買って縫うより安く売っているんでぽちりました。アマゾンで買ったものは織り柄あってさらさらとしてて縫製も悪くない。サイズがたっぷりなので、上手に着付けるとロングスカート風になったりサルエルパンツ風になったりで楽しいです。なのにタイパンツの特性を理解しないで星を低くつけてるレビュワー多くて気の毒で。食べログと並んでアマゾンレビューはあてにならないなあと思いました。(逆に星の低いレビュー読んで食べに行ったり買ったりする気になるわけですが)

④メイクボックス(ニトリ コスメオーガナイザー?)

 ワタシね、化粧あまりうまくないんですよ。ちゃんと塗るとだいぶマシになるのは分かっているのですが。そんな風に苦手意識が先に立つとメイク道具類の扱いも雑になるわけでして。細長いカトラリーボックスに一切合切入れて、毎朝出勤前にガラガラ底までさらってました。が、これはあまりに不合理だし気分も上がらない。で、ニトリのメイクボックス買いましたよ。ボックスというか整理トレー。ブランド的には上がる要素ないのですが、毎朝使うもののアクセスが段違いに良くなったので買ってよかった。今検索すると同じものが見つからないです。ので、商品名分からないですすみません。透明アクリルで清潔感あるのは良いところなんですが、やっぱりちょっと安っぽい。似たような構造で木製か布張りのがあるといいなーと検索しているところです。化粧入れる箱をヴァニティーボックスといいますが、「虚栄の箱」というよりは社会的に求められる身だしなみを合理的に行うための箱、というカンジですね、ワタシの場合。

番外 食事のデリバリー(洋食テンカウント ミックス定食)

デリバリーをお皿に盛りなおしてインスタントのお味噌汁付けたとこ 割とちゃんとしてません!?

 お片付けしてるとですね、なんか料理したくなくなるのですよ。それは手がホコリっぽくなるせいなのか、脳ミソの機能の問題なのかは分からないのですが。仕事してない時は8割くらい食べ物のことを考えている人間だったとは思えません。ステイホーム初期は食材まとめ買いしては作り切れなくて無駄にしてしまいました。なんか雰囲気殺伐としている上に欠品の多いスーパーに行くこと自体が嫌になってましたし。そんなところにお安いフードデリバリー出現。ツイッターで何かの拍子に回ってきたのを見かけたのですが、中野区内なら配送料無料というのに惹かれまして(今は配達料あります)。あと、試しに取ってみたらボリューム凄かった。さらに取り続けていくうちに味の改良がされていくのも手に取るように分かりまして。これはいいぞとリピートかけてます。そもそも一人分千円切るデリバリーって難しいんですよ。すかいらーくグループのラークルも安いのですが、最低金額1500円なので2人前をまとめて頼まねばなりません。テンカウントさんは、こってりたっぷりの男飯ですが、定食が880円なら納得します。本業はラーメン屋さんということなのでいつまで続く業態か分かりませんが、ステイホーム中はかなりお世話になってますし、ワタシの冷蔵庫のフードロス削減に貢献してくれてます。

ステイホームで買ってよかったもの(機能性編)

 いつもですね、息を止めて思考の海に潜って真珠を探すような文章ばかり書いていらんないわけですよ。潜ったからって真珠がいつも手に入るわけではないですしね!手がかからないはずの再録だって注釈つけたり今の見解加えないと意味が分からんもの多いですしね。というわけで、ステイホーム中に買ったりもらったり借りたりして良かったものについて書き連ねます。(書いてるうちに長くなってしまったので機能性編とお気持ち編に分けますねー)

 ちなみにステイホーム中、ワタシは数十年単位で片付かなかった身の回りをついに片づけました。その辺の動機となったことと役に立ったもの。

あれこれやってここまでたどり着きました

①デスクチェア(IKEAフリンタン)

 部屋を片付ける原動力になったのは「やっべ、テレワークできる環境作らなきゃ」でした。んで、肝心のデスクですが、わが部屋にそんなもの置いたら寝る場所なくなるわ、てなことで押入れの一角をデスクとして運用することにしました。ただ、ここに大きな問題が。押入れの上段の高さって結構あるんですよ。実測86㎝。普通の椅子に座ると確実にキーボードに置いてる手がゾンビポジションになる。インテリアデザインやってるお若いお友だちに相談したら「椅子の座面は机の高さマイナス25~30センチが目安」ということで。座面の高さが55~60㎝ないといけないというやつ。実際座れて座面の高いもの、そんであんまり高くない。ということでステイホームせずにちょっとだけ行きましたよIKEA、ザウスの跡地(バブル)。無駄に筋トレで力のあるワタシなので配送頼まずに自力で持って帰ってきたのですが、買ってよかった!足はぷらぷらしちゃうけど、座面広くて疲れない。押入れデスク万歳!

②デスクライト(PHIVE LED デスクスタンド クランプ ライト )

 押入れデスクですが、押入れなだけあって光が差さない。液晶画面は明るいですが、それに頼るのもどうかということで。はじめはゼットライト買おうかと思ってたのですが、改装のトータル出費におびえて日よりました。(この時点では給料が全額保証されるか怪しかったので)アマゾンで購入。まあまあ良いものですよ。ZOOM会議とかしてて色温度変えられるライトの方が良かったかなーとは思いますが。手元が明るいと気持ちが明るくなります!ライトは買うべき!

③電源タップ(IKEA コップラ5個口 USBポート2口付き)

 またIKEAで恐縮なのですが。IKEA楽しいですね。ネットであれこれ見てると時間が蒸発します。実際に行ったときはろくに見ないでダッシュで目的の物だけ買って帰ってきたので、世情が落ち着いたらゆっくり落ち着いてみて回りたい。できれば気の合う友人と。それはさておき、仕事場のデスクでも問題になるのがコード類。オフィスではパカパカ開くコード収納場所が確保されてますが、押入れデスクにそんな気の利いたものはない。ということで、USB給電のできるタップ買いました。いや、これは買ってよかったですよ。しまい込めるわけじゃないから視覚的にはうるさいですけど、機能上はまとまりましたので。特にUSB給電いいですね。パソコンのUSBをふさがなくて済みますもん。別にIKEAでなくても良いと思いますが、デスクまわりのタップでしたら迷わずにUSB給電できるもの買った方がいいと思います。

④ハンディクリーナー(フカイ工業FC800)

 これ、「何で買ってなかったの!?」ってもの。喘息持ちのくせに雑然とした部屋に住んでたわけですが、今回の片づけにあたって購入。性格上、「さあ、掃除すっぞ!」と大きな掃除機取り出してガーガーかけるより、目についた都度でサッと吸いとる方が向いてました。そもそも、こんな極狭部屋で大きな掃除機いるのだろうかという。紙パック式じゃなくて吸いとったゴミが見えるのもワタシに向いてました。

⑤ノートパソコンスタンド&キーボード(もらいもの&エレコムTK-FCM062BK)

 お仕事の貸与パソコンが小さなThinkPad で姿勢辛くて、お友達のこの方向性での賢人に勧められたのが「ノートパソコンスタンド&キーボード」の組み合わせ。はじめはディスプレイ買っちゃおうかと思ったのですが、まずはこれで運用かけています。確かにコスパ良いですね。自前のノートパソコンだと、操作感はデスクトップと変わりませんもん。(ThinkPadだと2窓開くのやっぱりつらいのですが)この組み合わせだと両方買っても5000円程度なので。自宅でパソコンいじらない派ならこれで充分かと。それにしても、キーボードって安いんですね。送料込みで1000円しませんでした。昔と違って、プラグさしたら勝手に認識してくれるし。若干カシャカシャいうのが気になりますが、ミスタイプ激減しましたもん。このブログ書くのにもストレスないし、買ってよかったです。(と、直接触るものなので、ストロークの深さと音が気になるのでもしかしたら買い替えるかも。……沼の予感)

……というわけで、「お気持ち編」に続きます。

軽微な課税(極々私的な感覚について)

 いわゆるコロナ禍の中、皆様いかがお過ごしでしょうか。ワタシはわりと自宅待機が長く、仕事せ(でき)ずに、部屋を片付けたり縫物をしたりこのサイトをオリジナルドメインまで取って立ち上げたりしていました。とはいえ、やっと先日パソコンが支給されまして、テレワーク開始と相成りましたが。

 オンオフはっきりさせないとな!

 で、片付けやツイッターなどで自室でうごめいていた時と違い、始業前にブラジャーしてオフィスカジュアル(失笑)に身を包み、近所のコンビニにコーヒー買いに出てまで気分転換してます。ここまでオンオフはっきりさせようとする人も珍しいみたいなのですが、ワタシはハッキリ気分転換したい方。何でかと考えてみましたが、あんまりいいことではないのに気が付きました。気分転換しないとワタシは

 レズが染み出しちゃう!

 ワタシ、今の仕事場ではカムアウトしてません。名前で検索かければ一発で分かりますけど、ばれたらばれたでまあいいか、否定はしません、という程度で。それでも積極的にカムアウトする気がありません。なんでかって、今のワタシの仕事とか簡単に首すげ替えられそうだしな。不安要素はあまり導入したくないのです。

 わりと古い体質の小さめ企業を渡り歩いてきたワタシですが(専門性の問題として仕方ないのです)、やっぱり「女性としての役割」を求められるし、マシになってきたとはいってもプライベートについて何となく聞かれることもある。やっぱり「男とつがわない」というのが強く出てるのは好まれないんですよね。ノンケの振りこそしないのですがその辺は強く出さないようにしています。口にはしなくても「ご縁がなくって~」「もうこりごりです~」という「雰囲気」打ち出してるわけですね。ワタシにとってのオンは「セクシュアリティを透明化する」ことに他なりません。

 現在の日本企業の風土をかえりみるに、同性愛者当事者の居心地は決して良くは、ない。昔はカムアウトして働く元気ありましたが、今はありません。一部、パレードの支援スポンサーになるような企業もありますが、ネットフリックスだろうとハフィントンポストだろうと日本の土壌に植えると腐るので、プライドとかレインボーも似たような感じで腐って行ってるんだろうなぁと。シスヘテロ男性の父権制への奉仕と新自由主義とに侵食されて。大半は「アライ」のための活動にワタシには見えてます。当事者そっちのけで「アライ」がきゃあきゃあ言ってるの見るとそう思っちゃう。当然、ワタシという同性愛者がどう処遇されるのか見えづらいです。(あんな大企業では働けないだろ、というのも分かってますが)あの辺は若い世代の新しい企業風土の話で、ワタシにはあまり関わりないと思ってますよ。と、閑話休題。

 ワタシを含めて、たくさんの同性愛者がセクシュアリティを透明化して働いてるんだろうなと思ってます。短期的には一番波風立たないし、賢いやり過ごし方だと思います。だけどねえ、朝の儀式を通さないと透明化できないという「ほんのちょっとの手間」がけっこうずっしり来るものでして。ちょっとずつ人より多く消費税を払ってる感じ。もちろん昔に比べたら税率下がっている感覚はありますけど。(これは戦ってきた自分をちょっと誇りに思う)

 マスコミに取り上げられるのはアウティングされて失職とかパートナーとの死に目に会えないとかの大きく悲劇的な例が多いけど、ワタシにとってのつらさは「他の人は払わなくていい軽微な税」を社会に対して一挙手一投足ごとに支払ってる感覚そのものです。(ここでネットを通じて知った「例えが分からない人」に対して解説するけど、実際にマネーを払ってるわけではなくて心理的なコストの支払いのことね)同性婚もできなきゃ死ぬわけではないけど(実際ワタシは死んでないし)、日常の消費税から解放されたいという「出口のひとつ」なのではと思います。

 と、ここのブログは週末に書いて、1週間寝かせてまた週末公開というサイクルで回してます。明日からまたテレワークなのですが、ちゃんと身支度整えて家の近所をぐるっと回って「通勤」した気になって戻ってくるでしょう。レズが染み出さないように!

……とか書いてましたが、非常事態宣言解除されて東京都はいくつかのステップを踏みながら日常へと戻っていくことになりそうで。ワタシのテレワーク生活も終わりを告げました。ここのブログは「週末書いて翌週末アップ」というサイクルで回すことにしているのですが。時事ネタはちょっと考えないとね。

「完璧じゃない、あたしたち」レビュー そこにあるけど見えない差異

「完璧じゃない、あたしたち」という短編小説集がある。奥付には2018年1月25日発行とある。奥付の発行日と実際の発行日が違うことはままあるが、ワタシはちょうどそのころ足を骨折した。ので、この本はボルトを2本埋める手術の後、冷たい針で縫ったような痛みをたまに感じながら病院のベッドで読んだ。

読み終わった後、病室で「あれ……?」って思いました (詳細本文)

 ツイッターで作者の王谷晶さんのツイートはよく見かけていた。政治的スタンスも良くうなづけるもので、レズビアンであることも公言している。ワタシよりは一回りは若い作家ではあるけれど、「私たちの作品」に共感する気満々で読み始めた。が、一気に読み終わって期待していたものと全く違う世界がそこにあって、それがワタシをわりと打ちのめした。

 出来の悪い小説だったわけじゃない。逆に良く書けてたからこそ打ちのめされた。23本の短編、そこにはワタシの影すらもほぼ存在しなかった。

 同時代を生きる首都圏のレズビアンの生活が交差しないことなんてあるのだろうか。それはある、厳然とある。「完璧じゃない、あたしたち」に描かれているのは北関東の小都市、そこに生きる女の子たち。埃っぽい小さな工場、油っぽいビニールクロスのかかったラーメン屋、冬の冷たい乾燥した強い風、ブリーチをかけすぎて傷んだ髪、駅前の安スナックで執拗に繰り返されるセクハラ、折り合いの悪い家族。そんな世界がぎょっとするほど生々しい。短編の色合いは様々で、おとぎ話じみたものからSF、戯曲まである。その中でも底にずっと流れているのは限られた世界の中であがく女の子たちの苦闘。

 読み終わって打ちのめされたのは罪悪感ではない。なんか共感する気満々で読んだのに共感することが難しかったからだ。若い頃のワタシは家族の中に問題はあったけど、金銭面で苦しい思いをしたことがなかった。ワタシはバブル絶頂期に東京の私大に実家から通って、小遣いも十分に与えられていた。学校帰りに定期券で神保町に寄って古書店の100円ワゴンをあさったり、喫茶店でコーヒーを飲んだり、美術館に寄ったりする生活をしていた。つらいのは通学時間が長くて痴漢に遭遇することと講義が難しくて試験が憂鬱なこと、そして時折心をよぎる「ワタシはやはりレズというものなのだろうか」という暗い疑念、それくらいだった。親のお仕着せの服を着ていたワタシは文学少女のお嬢さんに見え、その質素だがお金のにおいのする姿に力のある父親の影をかぎとるせいか卑劣な男はワタシの前には立たなかった。

 ワタシが存在していそうだな、と感じたのは一編だけだった。「しずか・シグナル・シルエット」。ネタばれしない程度にどんな話かというと、阿佐ヶ谷のとある個人商店の店主の女性に恋をするレズビアンの話だ。阿佐ヶ谷はワタシの住んでるとこから二つ隣の駅。わりとレズビアンが住みがちなエリアである。で、この望み薄な恋をしている主人公、この短編集の中では例外的に地元脱出をうまくはかれて安定した職を得てるっぽい。が、おそらくやっぱり容姿はもっさりとしてあか抜けないタチだ。わりと文化的に近い人について類推するのは好きだ。主人公はたまには二丁目に行って、小さめのバーでちょっとカッコよくウイスキーを頼んだりするのだろうけど、酔っぱらってかなわぬ恋の話を頼んでもないのにボロボロしゃべり始めて、あいづち打つのも難しい、そんな風ではなかろうか。そんなカンジで読むのは楽しい。そして、そのバーの隅っこにはやっぱりワタシがいて、カウンターの中からママが「タスケテー」と目でサインを送ってくる。そんな夜。

 ワタシは勝手に「そんな夜」の共感を期待しちゃったし、なんなら都心のオフィスビルで恋に落ちる「そんな昼」も通勤に向かうホームで見かける女性の横顔を盗み見る「そんな朝」まで。

 「レズビアン」とくくっても、地域年齢社会階層容姿学歴趣味嗜好は様々で、いろんな人がいる。それは当たり前、当たり前のことなんだけど、頭の中からごろりと抜け落ちてしまうことがある。小説に限らず、文章でつづられるレズビアンの「お話」はなぜか社会階層高めの首都圏在住の人の話が多くなりがちだ。それは「語り手」がそういう人が多いから。その偏りはそのままレズビアンコミュニティの「言論」の偏りにもつながっている。

 と、あまりにも「社会的」に読んでしまったかもしれないが、出版されて2年以上経っているのにそのあたりのことに言及している人がワタシの見る限りではいなかったのが意外だった。読後、打ちのめされてから立ち直って思ったのが「これはプロレタリアート百合!」とか「レズビアンの『キャラメル工場から』!!」だったのです。

 その小説自体の生々しい鮮烈さや魅力には全く触れられなかったレビューですが、一読しておいた方がいいですよ。なんといっても、この短編群にはフィクションはあっても、「嘘」はありませんから。その鮮やかさがあるからこそ、曖昧な共感も嘘くさい連帯もワタシに許さず、そこにある「違い」をワタシに突き付けたのですから。

レズバーはいつ行くべきか

 ワタシは大学卒業してほどなくレズビアン向けのクラブイベントに行ったのがいわゆるレズビアンコミュニティにつながったことはじめ。それからレズビアンバーなどにも行きはじめ、あまり出歩かなかった期間もあるがずっと首都圏レズビアンシーンの夜の部に魅惑され続けている。

 そして、いわゆる真面目な「アクティビズム」は記録されるが、夜の街の密やかな歴史が消えていくことに危機感持っていた。いわゆる活動系のレズビアンはナイトシーンを記録しようとしなかった。それにワタシよりも年上のお姉さんたちがオープンしたバーがぽつぽつと消えていっている時期でもありましたから。そんなこんなで作り始めたのが「東京レズビアンバーガイド」シリーズの同人誌。これはまだ継続しているプロジェクトなので、ちょっと残部が売れたらいいなぁという気持ちもあって、1本だけ雑文を収録します。以下お読みください。

まだ在庫あるので買って欲しいですー 手売りだけですけど

レズバーいつ行くの? いますぐ!

ワタシは嘘がつけないタチで
 二丁目レズバーの同人誌を書いていることが知れ渡ると、よく言われることがあります。「今度連れて行ってください」と「もうおばちゃんだけど、行ってもいいかしら」がツートップ。前者については前号で触れましたが(結論:ひとりで行け)後者については「えー、全然~、そんなの~、大丈夫ですよ~❤」待ちなので割ととてもかなり面倒くさい。
 正直、レズビアンバーでの恋愛メイン年代はせいぜい35歳まで、よほど若く見えてもアラフォーまでなので40過ぎたら苦戦が見込まれます。めくるめく色恋を期待してるなら全然大丈夫じゃない。「今すぐあきらめな!」というのが本音。ワタシは嘘がつけないタチなので。いやネコなんだけど。(だまれ)
 中には20代後半で「もうおばちゃんだけど」とか言う小娘もいますがケンカ売ってんのか。横っ面ひっぱたいてやりたい。(アラフィフの徳の低い本音)20代後半とか一番いいので、今すぐ新しいパンツをはいて行って欲しい。

レズバーに何を期待してるのか
 半分人生相談みたいな感じで「ずっと行ってみたいと思っているうちにいつのまにか50代になってしまいました」とか言われると本当に重い。とはいえ、そういう人生を選んだのは自分なので何とも言いようがない。ただ、レズバーに期待しているものが色恋でないなら苦戦とか考えなくてもいい。ワタシが二丁目に通うのはもう昔みたいに夜の恋を探してのことではない。自分を育ててくれたレズビアンのバーシーンに対する愛着、それを何とか消える前に記録しておきたいという執念あってのことだ。ただ、女性たちが憂いなく夜を楽しんでいるのを見るのは楽しいし、こんな夜がずっと続くといいねと祈りたくなる。時によると、なにか神聖な気分にすらなる。
 そんな風に一歩引いた「主役の人たちを見守るわき役」として過ごせるのなら何歳だろうと遅いということは絶対ない。
レズバーが舞台なら
 レズビアンバーが舞台なら、主役はやはり恋をしている女の子たちだろう。だけど、わき役であるところのオバサン達にも人生があるし、ドラマはやっぱりある。恋に出会わなくても友情は生まれるし、友愛もまた尊いものだ。
 あなたがレズビアンバーに入店できる要件を満たし、かつ行ってみたいと思っているのなら、万障繰り合わせて出かけることを検討してほしい。何であろうとバーシーンは若くて体力あるうちの方が楽しめる。もうホントに、今すぐ、今週末にでも、出かけるべきです!
(2018年12月31日刊行「東京レズビアンバーガイド3杯目」より)

 同人誌というメディアなので割とマイルドに書いてますが、レズビアンコミュニティは恋愛を基盤にした集団なので、人の美醜や年齢にはわりと冷酷な所があります。「差別される人がさらに差別するなんてひどい!」という人もいますが。いや、オメー何言ってんの? とワタシは思ってしまうクチ。そういうこと言う人が性愛の対象でも美醜も年齢もまったく気にしないというなら「左様ですか」と思わなくもないのですが、大体は自分のことは高く高く棚上げして相手には高いレベル求めてたりするんですよ。まあ、冷酷なのが正しいとは思いませんけど。

 なので、わりと年行ってからデビューしようと思ってる人はあまり期待しない方がいいと思います。(若い頃に事務所に所属してたクラスの美人とか除く)ワタシなんて、同年代で貧乏でもちゃんと働いてて容姿レベルと脳ミソレベルが自分と同じくらいの人、と割と控えめな条件でも全然マッチングしませんもん。現時点ではレズビアンは年取ると(恋愛的には)苦戦しますよ。マジ、思い立ったら老いも若きもすぐに行った方が良いです。ホントに。

理解と解釈の間

 ワタシにとって去年読んだ漫画のベストワンは「ヘテロゲニア リンギスティコ」だったのですが。その面白さのコア解説はまたの機会にとっておいて、その作中でとても印象的だった一節。

「私が理解だと思っていたこと 理解ではなく解釈だった 理解への壁は限りなく高い 今後はこの自覚を持って臨む」

ヘテロゲニア リンギスティコ1巻より

 駆け出しの言語学者に託した恩師の覚書の一節なのですが。これ、わりとワタシに響いたんです。レズビアンなんてマイノリティを長年やってると、「解釈」されること多いんです。「どっちが男役?」とかの類の。(もっと下劣なこと言われたりしましたが、今度の「マッハで走る」サイトはもう少し上品に運営しようとおもってますので、おほほ)

「私たちは異性愛者と変わりません!」と言われると「そうか、愛情あって一緒に住んだりするのは自分たちと同じだもんな」と「良心的」なヘテロセクシャルの人は思うようなのですが、そこが一歩目の陥穽。男性と女性とでジェンダー制度で色濃く区分けされている男女という「異種族」がパートナーシップ組むのと我らは違うのですよ。リードする方される方の役割固定はないではないのですけど。その分担はよりゆるいので「男役/女役」と言われても、「は?二人とも女だけど?」というカンジになるし、なんで常に男がリードすんの?って思う。(余談ですが、そのリードするべしという規範の強い男性が料理とか掃除とかで女性に「指導」されるとすぐにすねるのではと思ってます)同じで違うのですが、自分の中に異性愛の世界しか存在せず、分からないことを「自分」に引き付けて「分かろう」とする人はこの手の間違い犯しがちです。

 とはいっても、自分の世界にないものとか知識の薄いものについては同じような間違いを犯すものですよ。アナタもワタシも。人である以上。ワタシがその愚を犯した記録が以下。

その4:ボーイズ ドント クライ 雑感

 大分、前になるが、話題のこの映画、見に行きました。(いつだったっけ?>毛玉クン)
 残念なことに実録モノの「ブランドン・ティーナ ストーリー」を東京の映画祭で先に見てしまったワタシ。こちらの方の感想としては「ブランドン君ってバカな子」だった。何もワザワザ田舎に行かなくてもいいだろーに。60年代なら純粋な悲劇だったかもしれないが、90年代でアレはないだろー、と思ってしまったのだった。そして、ブランドン君が本当にTSなのか、大いなる疑惑を持ったのであった。(だってさぁ、クソ田舎で「女役割」にはまりきれないからって、いきなり「自分はGIDである」って決め込んじゃう子ってよくいるもん)
 んで、本編。ヒラリー・スワンクの熱演は素晴らしい!さすがアカデミー女優。だけどねぇ、ジェンダーズ・アウトローな人々を見慣れているワタシの目には、ブランドン君が「パス」するってーのが信じ難かった。つーか、いがちなタッちゃん。ヒジョーに女心をくすぐる手管の数々。「アンタ!女心ワカり過ぎ!!」と何度スクリーンにツッコミを入れたことか。(ヤッパリこちらを先に見ておくべきだった)
 ストーリーはさくさく進み、「ツライ」と話題だったレイプシーンもあっさり見ることができました(ワタシってヤバいかなぁ?)。
 ワタシの心を打ったのは、追われるようにして知人の納屋に寝泊りするようになったブランドン君のもとに恋人のラナが現れる。そして、ブランドン君、初めて服を脱いでカノジョとセックスする。ここでワタシは「ブランドン君、自分があるがままの女であることを受け入れたのね。良かったわぁ」そーゆー感覚で見てしまったのだ。
 真実のティーナ・ブランドンのセクシュアリティは分からない。しかし、映画ではブランドン君が「性同一性障害」である前提で作ってあったはずだった。でも、ワタシは「レズタチ、ジェンダーの揺らぎとレズビアン性の獲得」という解釈を無意識で行った。というか、そうやって観るのがワタシにとって自然だった。
 ワタシはレズビアンとしてのフレームから逃れることができないのだろうか。ノンケのバカさ加減にげんなりするワタシも見慣れぬものには、自分のフレームでしかモノを見ない。それを痛感した。(2000.9.14)

 というカンジでトランス男性の話を「レズ映画」として鑑賞してしまうというヤバいやつでした、ワタシは。まあ、そのヤバさを自覚してこんな文章をサイトに上げたり、当時友人のMtFに懺悔をしたりしたのですが。まだ隣接領域だから気づけたもののヤバかったですね。

※注 「ボーイズドントクライ」は1999年の映画。トランス男性(当時はこの表現はほぼなくて、性同一性障害概念が優位でした)がヘイトクライムで亡くなった実話をもとにしている。主演のヒラリー・スワンクはこの映画でアカデミー主演「女優」賞などとってます。恋人役のラナはクロエ・セヴィニー。それなりの予算感をもってハリウッドでトランスジェンダーの映画が作られたはしりだと思います。
「ブランドン・ティーナ・ストーリー」はその実話のドキュメント。再録の文章の通り、2000年の東京国際レズビアン&ゲイ映画祭(現レインボーリール東京)で上映されてます。映画祭といえば、2001年のサイトの「クイア デ ポン」というコーナーに「ボーイズドントクライ」のひどい感想寄せてます。あそこは古いサイトもそのまま残してくれているという貴重なアーカイブになっていて今でも読めます。リンクはこちらhttps://rainbowreeltokyo.com/2001/qdp/boys.html
さらに注ですが文中の「毛玉クン」というのは当時付き合っていた子です。ウッ

 こういう「間違った解釈」をどうすれば避けられるのかというと、冒頭の恩師の覚書の「この自覚を持って臨む」しかないのですが、それは心構えの話で、実際にはどうしたらよかろうかという。

 ワタシは個人的には理解できないことに直面したら当面「そうなんだー」で良いと思ってるんですよ。分からないものはあるがままに世界にある。まずそれを頭にしっかり入れておくのが大事なのではと。何でもかんでも「自分のことだと思って考える」のは違うと思いますね。そういう思考は公園の砂場でおもちゃを横取りしたこどもに「相手の気持ちになって考えなさい」っていうレベルの話で。大人は大人の理解があると思います。「自分の身になる」って結局は己のフレームから離れられないし。大人には大人の抽象的な思考があると思いますよ。そこへの扉の第一歩が「そうなんだー」なのではと。同性愛者と異性愛者は同じで違う。偉大な第一歩から地道に共通点を抽出したり、異質な部分を感じ取っていくのが大人の理解だと思いますね、ワタシは。

顔の見えるワタシと実在担保性

 2000年当時からインターネットという電子の海にポートレート写真を放流していた向こう見ずなアラサーのワタシでした。ただ、インターネットにつなげることができる人がとても少なく、さらにそこに自分の意見を書き連ねることはもっと難しい時代でもありました。(単なる「ブス」という罵倒も含めて)ワタシが顔写真を出すというのはカムアウトも兼ねてしまうのですが、あんまり心配はしてませんでしたねー。(レズ出会い系に他人が拝借してるのを発見して取り下げたのですが)今思えば牧歌的な時代でした。

過去のサイトの初代ポートレート画像

 そんなワタシが書いたテキストが以下。

その9:顔の見えるワタクシ

 このサイトを開いて20日間ばかりですが、カウンターが700を超えていて恐ろしいですね(笑)。一体誰が見てるんでしょう?ワタシはすでに何回も地雷を踏んでいるので、嫌がらせメールとかボード荒らしとかが現れるものと思ってたのですが、あまりに平穏で物足りません(小マジ)。
 で、ふと思いました。ホントはスゲーむかついてる人たちがいて、『あんなコト言ってるヤツなんて、ブスに決まってるわ』と、仲間内で言い合っているかもしれない!急にムカ入って、写真をアップしてみました(笑)。アレだけのことを書いているので、「逃げも隠れもしないぜ!(ファイティングポーズで)」という意思表明でもあるのですが、やはり反応がありません。せめて「オナペットにしました」という書き込みでもいいから何とかなりませんかね?
 関西WEでこの話をすると、「怖くて書き込みとかできないんでしょ」もしくは「ケンカするにも相手を見る」という評をいただきました。確かに「鬼」を自称してますから恐ろしげですが、ツレヅレの内容を読めば、ワタシがヘナレズであることは一目瞭然です。それで、「ケンカを売るにも足りない」なんて思われているのでしょうか?それとも写真があまりにブスだったので発言する気力が失せたんでしょうか(ひぃ)。
 あれこれ考えているウチに「顔出しって失敗だったかも」という結論に達しつつあります。春乃かおりがあんなにバカなのに需要があるのはカムアウトの正義が働いているからだと思います。でも、匿名性を保ったままの冷静な議論というものもできるはずですがねぇ。一人でヤーな気分になってたり、友人、恋人とワタシの悪口を言い合うくらいなら鬼が島へ!今のところは鬼が島の書き込みって、ほとんど身内なので、純粋な反応というのはイマイチ分かりませんから。
 で、今、思いついた一つの原因が……「掲示板がプロすぎる」。業界に名を馳せてらっしゃる方のご来駕が多いということで敷居が高いんでしょうか。うーむ。(2000.9.26)

 インターネット炎上の怖さを分かってない!! (ないものは怖がれないという)今思えば、「ブスだからそれがどうした」という話ですが。この頃から何か活動でも何でも目立つことをする奴はブスという根強い呪いがあるのが見て取れますね。いや、ホントに他人の顔面がどんな出来かなんてどうでもよくね?

 と、いうか、ここで書きたかったのは「顔出し」とか「カムアウト」が生む権力性ですね。そりゃ、電子の海の中のどこのだれか分からない人が書いてることよりも実在に結びついている人の言ってることの方が信用される。そりゃ、「責任を取る」ことができるし求めることもできるのだから仕方がない。とはいえ、匿名性を保っている意見をことさらに軽視したり、ないがしろに扱うのは違うんじゃねーの?という話。なんか、そういう危険性を2000年当時から感じていました。

 ちなみに文中の春乃かおりってSPA!とかに出てたレズタレントの走りなのですが、コミュニティの情報をピックアップしては小バカにするという最低なゲイ風で、学生サークルの抗議もガン無視の上、引退して男と結婚して逃げ切るというクソオブクソでした。顔出しカムアウトの先駆者がこんなだなんて日本のレズビアンの歴史上での超汚点ですよ。ほぼ忘れ去られてますが。ワタシは忘れない!!

 カムアウトの権威性はそんな風に問題なのですが、そこに容姿の良さが乗っかると「は?」ってことが「いい話」として流れてきて消費されてたりするので震撼しますね。また反面、匿名でも耳を傾けよう!……とはいえども、肝心の言ってることがクソだったら取り合う価値ないです。実害出たら通報&情報開示一択ですが。出会い掲示板に名前を変えつつ常駐しているバカと変わんないですよ。滅びよ。

ワタシは「ありのまま」がきらいです

 ありのままの情念ほとばしるサイトを再開しておいて嫌いも何もないもんだとは思いますが、ワタシは「ありのまま/自分らしく」という言葉にベッタリと貼りついた甘えが嫌いです。ありのまま、と一言で言っても「どのレイヤーでのありのまま」なのかは判定難しいのですが。ワタシが嫌いなのは2001年の夏に書いたようなこれ。パレードの実行委員の業務さなかで忙しかったはずなのに何を書いてたんだろうワタシ。よほど腹に据えかねたことがあったのだろうけど、忘れてしまっているので今のワタシにとっては大したことではなかったのでしょう。

その41:「自分らしく」の甘い罠 

 変態サイト(ココ含む)を渡り歩いてよく目にするのが「レズとかバイとか、男とか女とか関係ない!ワタシはワタシらしく在ればいいんだ!」という主張。うなずきかけて、「なんか違う」と傾きかけた首を戻すということが何度もある。
 自分にひきつけて考えれば、ワタシは「自分らしくありさえすればいい」という境地には全く至っておりません。カテゴライズはありとあらゆるメンドウな問題(グラデーションの分断、同一カテゴリー内での差異の消滅、うさんくさい連帯感など)を引き連れてはきますが、ラベリングから発生するプライド、そこから巻き起こる運動、それも大事だと思うのでっす。今だワタシはレヅとして生活し、レヅとして生活できず、レヅとして活動し、ゆえに挫折しつづけているのです。自分らしくあろうとしても、出社する時は、髪の色が明るすぎやしないか、短すぎやしないか、服がカジュアルすぎないか、そんなくだらないことに縛られています。
 確かに、「自分は自分よ!」と、言えるのはカッコイイ。まろうさんなんかがそういうカンジで生きていってるのはすんげー憧れる。いつかワタシもかくありたい。
 ただ、サイトに溢れる「自分らしく」の中の「自分」がどの程度、充実したものかは疑問が多い。人間誰しも確固として揺るぎのない自分らしさの種、は持っているけれども、芽生えさせるのにはそれなりの経験や思考が必要だと思うから。
 飲み屋で「自分は自分だから」と思考を放棄して、口半開きで女のケツを追いかけているレズには説教のひとつもしたくなる(ホントはしません)鬼レヅではあります。
 ホントは深い問題だけど、今回はさらっとね。長いこと徒然書いてなかったから、ネタがたまっていますのよ。(2001.8.13)

 もう20年近く前に書いたテキストだけど、そんな外したことは書いてなかったなぁと思います。ただ、流行の言い回しが「自分らしく」から「ありのまま」に変容しただけで。(だいたいアナ雪のせい)思考をしない「ありのまま」ってただただ野放しの欲望があるだけで、人に対して負担を強いるものが多い。互いに「ありのまま」を垂れ流し合えればそれはそれで良いのかもしれませんが、たいてい立場の弱い人によりその負担がのしかかるじゃないですか。やだー。

 オノレの心地よい「自分らしさ」とか「ありのまま」がなんで心地よいのか考えないと人に迷惑がかかるし、何よりカッコよくないよ、という話でした。

 まあ、ワタシも怒りや悲しみのおもむくままにTwitterではありのままのレズおばさんなワケなんですが。昔よりはかなり抑制が効くようになったとはいえ。気をつけねば。