前置きとして「場づくり」という言葉を私は好きではない。「クリシェ」なので。(クリシェ:乱用の結果、意図された力・目新しさが失われた句(常套句、決まり文句)・表現・概念……Wikipediaより)「場づくり」というといかがわしいNPOが使いがちなので避けたいのですけど、他に良い言葉を私が見つけられないのでそのまま使います。
さて、私が長いこと書く気になれないでいたブログを再始動しようと思ったのは、とあるジンを読んだのがきっかけのひとつでした。(紙の形のジンは直接 元気のないおさむ さんにいただきました。 ありがとうございます。)
周縁で考える クィア・フェミニズム界隈の話
超・超ざっくり要約すると、「既存のクィアの活動の場が閉じているのではないか、商業主義に過ぎるのではないか?」という問題提起です。私の一読した感想というと、「それはもっともなんだけど」という前置き付きで、「求めすぎ~~」とか、「変えるためにオノレを売り込まないとー」とか、「いや、十全に満たされる場が欲しければ、自分で作るしかないんじゃね?」、でした。
身内で回す閉じてる感のある小規模イベントに対する不満は当然あると思います。ですけど、書店経営などの傍らでイベント登壇者などの公募をするなどの手間をかけてしまうと、その手間で本業に割くべきリソースを圧迫してしまう。そうなると、その残業代はだれが払うのかという問題につながるかも。(「お前はちょっと世界が狭すぎでは」とか「看板に少し偽りあり」みたいなイベントはちょくちょく見かけますけど)
私が活動していた90年代00年代では、場を作り上げている人全員が手弁当でした。けれど今はトークイベントなどに登壇する人にもそれなりのお車代を渡すことが常識になってきました(それはとても良いこと)。その費用がイベント参加費にそのまま転嫁されるので、商業主義に見える場合もあるのではと思います。
3つ目の「場が欲しければ、自分で作るしかないんじゃね?」という部分については、意外と情報がないなと思います。
今までの私の活動の経験を踏まえて、「場づくり」のノウハウ的なものを書いていこうかと思います。お金の流れ含めてのノウハウが見えると、特定のイベントに対して「商業主義だ」という批判が妥当かそうでないかがわりと明確になるのではないかと思います。
あと、これは私の持論ですが、とあるイベントなり活動のメインストリームが発生すると、必ずそれにカウンターとしてのオルタナティブな活動が出てきます。それがいつの間にかメインストリーム化したりします(そのままの場合もある)。もしくはその批判を取り込んで既存のメインストリームが太くなったりします。そうなると、またそれに対してオルタナティブな批判が出てくる。議論のコアが振り子のようにスイングし続けるダイナミズムそのものを「活動でしょ!?」って私は思っています。私自身はメインストリームに身を置いたり、オルタナな批判をしたりしてましたから。
あと、余談になるかもしれませんが、私は何十年も活動に身を浸してきたので、「何かやりたい」けど、「何をしたらいいか分からない」人をたくさん見てきました。そんな人たちにも最初のスモールステップのヒントになったらいいかなと思いつつ書いていこうと思います。全体ではおそらく5回くらいの連載になるかなと。
次回の投稿から具体的な「場づくり」について書こうと思います。まずは、「誰とやるか・どこでやるか」です。これだけでいろんなパターンがあると思います。
よろしくお願いいたします。
