活動の場づくり番外・ギュウドン単位

イベントの参加料って高いのか

イベントってオフ会(レズビアン界隈では合コン的なものを指します)とかトークイベントとかサイン会とかいろいろあるとは思いますが、何にしろ気になるのは料金。まあ、大体、参加費は普通に3000円くらいするかと。しかし、3000円ってわりと厳しくないですか。その時私が頭の中で思い浮かべるのがギュウドン単位です。

ギュウドン単位とは

ギュウドン単位は見たまま、牛丼チェーン店の牛丼並一杯の値段を1ギュウドンとしています。価格は景気などその時によりますが、今は吉野家の牛丼並が453円(税込498円)なので1ギュウドンは約500円です。私はいつもイベントを主催するときも参加するときも「このイベントは6ギュウドンだなー」とか思っています。何で牛丼なのかというと、身近で誰でも消費を避けられない食事の価値とすり合わせたいからです。イベントが1食、2食3食という食費にかえてもその価値があるのかと。

単純に「自分が主催するイベントはギュウドン単位以上の価値が持てるように」と考えてきました。3ギュウドンなら1日の食費にかえても構わないくらい「おもろくて、ちょっとためになって、楽しい気持ちで帰ってもらえる」ようにと思っていました。私が勝手に提唱している単位なのですが、個人的には案外役に立つと思っています。

しかし、ギュウドン単位が裏切られることも

あんまり興味のないジャンルで6ギュウドンというイベントがありました。営業DMが強めだったので食費2日分を払って期待せずに出かけてみました。が、ものすごく良かった。良かったどころの話ではなかった。私が創作物に必要だと思っていたものの前提が覆されて、6ギュウドンどころでない価値がありました。外タレの公演並みに価値がありました。

「クィア・インディーズ・リパブリック」というライブイベントだったんですけどね。

これはすごく良かったので、そのうちどんなところが良かったかまとめようと思います。(ついでに言えば、小冊子もついてきたので超お得でした)

活動の場づくりDIY①(まずは企画書・趣旨)

いきなり「場づくり」のキモになる「企画書づくり」です。

前回書いたように、人、場所、団体を動かすために企画書が必要なんですが、企画書の必要性ってもう一つあるんですよね。書いていくうちに考えがまとまってきて、「実際に何をやりたいのか」とか「イベントの流れ」とか「大まかなスケジュール」が見えてきたりします。それが見えた上で「時期尚早」や「大きな変更やむなし」や「実現不可能」でポシャッた企画って私だとたくさんあります。

企画書は経験不足を補える

なんか企画を考えて、どこかのスペースや団体に持ち込むとするじゃないですか。その時に責任者は「この人に任せて大丈夫だろうか」と考えると思います。活動界隈で実績のある人はおそらくそのまま企画書を受け取ってもらえると思います。そうでない場合は企画書を見るはずです。企画書がしっかりしていたら大丈夫だなと判断してもらえます。反対に企画書なしで話を持ち込んだら「文書でお願いします」と(遠まわしに)言われそう。たまに社会的意義をもって足りないところを一問一答で拾っていって形にしてくれる人や団体も存在します。そういう存在はレアですし、コミュニティの宝ですので大事にしましょう。

まずは趣旨を考える

趣旨というとピンとこないかもですが「もとにある考えや主なねらい」です。ここは各自の問題意識の反映したお題を考えてみてください。ぱっと考えるだけで「若年クィアのメンタルヘルス情報交換」、「今、なぜかXで流行っている『ある鰐の手記』の読書会」、「参加者おすすめの百合マンガを紹介しあう会」、「クィアのボードゲーム会」、「小さなデモをやってみる」「クィアのZine交換会」などなど、いろいろ思いつきます。コツは「とりあえずやってみたいこと、誰かにやってほしいこと」を何も考えずにたくさん書きだします(紙でもスマホのメモでも)。さすがに20くらい書いたら「これ必要だよね!」「やるしかない!」というのがあると思います。なければ現時点では場づくり向いていないと思いますので以下は読むだけにて。でもでも、いつかはやってみてください。場づくりやる人が多いほど多様性が生まれますので(そしてクソイベントは駆逐されます)。

具体的な例でもないと話がしづらいので、二つの例を考えてみます。スモールステップと私が取りまわしたいイベントです。

現状、場づくりで変えられること、求めていた結果、の順で書いてみましょうか。

①主催者含めて6人の「ある鰐の手記」読書会。趣旨は「Xでエモいとバズった邱妙津の小説『ある鰐の手記』を知った。参加者みんなでバズったページ以外のところを読んでもっとエモさを吸収したい。そして未知のエモさのコア(90年代台湾レズビアン作家の作品という異文化)を共有できるのでは」みたいな感じでしょうか。

②「90年代東京のレズビアンナイトシーンを知ってもらう」ためのトークイベント。バーやクラブイベントのママやオーガナイザー二人に登壇してもらって、私がうまいこと司会する感じ。参加者は80~100名(これより多くなる可能性あり)。予約制有料イベント。席数の都合で当日参加も可。趣旨は「活動周辺の話って歴史としてまとめようという動きはあるけど、ナイトシーンは軽視されていてまとめる機運もない。それは大変よろしくないのでトークイベントを通じてそのころの空気や困難だったことを共有したい。重要な割には知られていなかったナイトシーンへの理解や尊敬が深まることが目的」。正直、個人的にとても重要だと思っていますので時機を見て本当にやりたい。

仕事でなくても5W1H的なもの

企画書の初めの「場づくりの趣旨」は考えました。その趣旨にはやりたいことについてのポジティブな訴えがあると思います。その後には冷静な説得が続きます。

5W1HといえばWhenいつ・Whereどこで・Who誰が・What何を・Whyなぜ・Howどうやって……の略です(今さら)。会社でもないのにダルいとは思いますが少し我慢してください。「Whyなぜ」は趣旨で「なぜこの企画が必要なのか」を充分に書いていると思いますので、他のWやHを考えていきましょう。すべての5W1Hを網羅するわけではないので、そこは「的なもの」と考えてください。

そして、それぞれは「場づくり当日」だけでなく、そこに至るまでのWやHも織り込んでいきましょう(いったん織り込んでから、外に出す企画書からは削ればいいだけです)。それぞれの項目を見ていきましょう。

まずは Who

……と書こうと思ったところで、あまりに長くなりすぎるので次の投稿で!このシリーズを書いてる間、昔のことをたくさん思い出します。思い出してるだけじゃ前に進まないのでさらば青春の光です。

活動の場づくりDIY⓪(何をするか、自分にできるのか)

大前提として私がレズビアンで、レズビアンのビジビリティ(可視性)はすごく大事だ、という立場にまずあって、他のセクシュアリティなどについては不十分な配慮しかできないと思います。そこはご容赦ください……という言い訳をしてから。

何らかイベントをするときにまず大事になるのが「誰とやるか、どこでやるか」だと思ったのですが、それ以前のゼロ番地として「何をするか、自分にできるか」という大前提がありました。DIYなのに「作る」という実際のハウツーにならなくて、本当にすみません。でも、ここって大事なので、自分なりに書いていきます。

何をするかを最初に書こうと思ったのは、意外にここがぼんやりしている人が多いからです。「なんかしたい」と思っていても何をしたらいいのか分からない。聞いてみると「交流をしたい」と言うだけ。いや、「交流はどうやって交流するかが大事よ!」と、以下老婆心の奔流になりそうなところをグッと我慢しています。交流は良いのですよ、交流は。問題は何で交流するかです。

好きなことをやる

まずは「自分が好きなことをやる」です。読書が好きなら読書会、アニメが好きなら鑑賞会、カラオケが好きならカラオケ会、みたいな感じです。熱意というのは人をひきつけますし、イベントの取り回しの難易度が一段下がります。例えば私はカラオケを全くやらないので、料金体系もチェーンごとの特色も全く分かりません。やろうとしたら、各店舗の料金表を見たり、グーグルマップで立地を調べたりから始めないといけません。それ以前に興味のないことをするのは気が重いというかやる気が出ません。そういう部分があるので、はじめは好きなことをするのが良いのではないかと思います。

もう本当に当たり前のことでごめんなさい。

自分にできることをやる

そして、自分にイベントを実施するだけの能力があるのかです。これを読んだら「結局、能力主義かよー」って話になりそうですが、待って!閉じないで!(サンストーン)

イベント主催の「知名度」ってバカにならないのです。例えば、SNSのフォロワーが1000人超えていたら何も考えずに好きなことをやればいいと思います。きっとヘルプしたいという人も自然に現れるでしょうし、お膳立てに乗っかるだけでそれなりの成功を収めると思います。そんな人は「こんなことやってみたいんだけどー」って試しに言ってみたらいいんじゃないかと思います。

そうではない場合の「能力主義」の話に移ります。しょっぱい話になりますが、少し我慢してください。大事なことを書いていきます。

身に余る計画を立てていないかの確認というのは本当に大事です。数十年の活動生活でもほんの数人しか見かけていませんが、活動経験が薄くて協力者もいないのに100人超えが予想される規模のイベントをぶち上げる人がいます。どう考えても主催に複数人数が必要なのにその準備ができない。やることが多岐にわたるけど、自分一人しかいない。分身の術は使えないので、手におえる範囲で考えましょう。周囲も心配しますし、困惑します。(妄想するのは良いと思います)そういう大事故を防ぐのが企画書です。

計画自体はふんわりでもいいのでまず企画書を書くことをお勧めします。書くことで規模感や逆算スケジュールなどが見えてきて、自分でできる範囲のことが分かってくると思います。ここを見誤ると悲しいことになります。今はAIに作らせるとか、先達に教えてもらうとかできます。この辺使い倒すのも「能力」のうちではないでしょうか。もちろん、友達に声をかけてなんとなく集まる、なら企画書なくてOKです!ただ、場所を借りたり、参加者公募したりの場合は企画書がないと話が先に進みづらく、苦戦を強いられます。

次回こそ使えるハウツー「企画書作り」に進みます。よろしく!

活動の場づくりDIY(前置きとして)

前置きとして「場づくり」という言葉を私は好きではない。「クリシェ」なので。クリシェ:乱用の結果、意図された力・目新しさが失われた句(常套句、決まり文句)・表現・概念……Wikipediaより)「場づくり」というといかがわしいNPOが使いがちなので避けたいのですけど、他に良い言葉を私が見つけられないのでそのまま使います。

さて、私が長いこと書く気になれないでいたブログを再始動しようと思ったのは、とあるジンを読んだのがきっかけのひとつでした。(紙の形のジンは直接 元気のないおさむ さんにいただきました。 ありがとうございます。)

周縁で考える クィア・フェミニズム界隈の話

超・超ざっくり要約すると、「既存のクィアの活動の場が閉じているのではないか、商業主義に過ぎるのではないか?」という問題提起です。私の一読した感想というと、「それはもっともなんだけど」という前置き付きで、「求めすぎ~~」とか、「変えるためにオノレを売り込まないとー」とか、「いや、十全に満たされる場が欲しければ、自分で作るしかないんじゃね?」、でした。

身内で回す閉じてる感のある小規模イベントに対する不満は当然あると思います。ですけど、書店経営などの傍らでイベント登壇者などの公募をするなどの手間をかけてしまうと、その手間で本業に割くべきリソースを圧迫してしまう。そうなると、その残業代はだれが払うのかという問題につながるかも。(「お前はちょっと世界が狭すぎでは」とか「看板に少し偽りあり」みたいなイベントはちょくちょく見かけますけど)

私が活動していた90年代00年代では、場を作り上げている人全員が手弁当でした。けれど今はトークイベントなどに登壇する人にもそれなりのお車代を渡すことが常識になってきました(それはとても良いこと)。その費用がイベント参加費にそのまま転嫁されるので、商業主義に見える場合もあるのではと思います。

3つ目の「場が欲しければ、自分で作るしかないんじゃね?」という部分については、意外と情報がないなと思います。

今までの私の活動の経験を踏まえて、「場づくり」のノウハウ的なものを書いていこうかと思います。お金の流れ含めてのノウハウが見えると、特定のイベントに対して「商業主義だ」という批判が妥当かそうでないかがわりと明確になるのではないかと思います。

あと、これは私の持論ですが、とあるイベントなり活動のメインストリームが発生すると、必ずそれにカウンターとしてのオルタナティブな活動が出てきます。それがいつの間にかメインストリーム化したりします(そのままの場合もある)。もしくはその批判を取り込んで既存のメインストリームが太くなったりします。そうなると、またそれに対してオルタナティブな批判が出てくる。議論のコアが振り子のようにスイングし続けるダイナミズムそのものを「活動でしょ!?」って私は思っています。私自身はメインストリームに身を置いたり、オルタナな批判をしたりしてましたから。

あと、余談になるかもしれませんが、私は何十年も活動に身を浸してきたので、「何かやりたい」けど、「何をしたらいいか分からない」人をたくさん見てきました。そんな人たちにも最初のスモールステップのヒントになったらいいかなと思いつつ書いていこうと思います。全体ではおそらく5回くらいの連載になるかなと。

次回の投稿から具体的な「場づくり」について書こうと思います。まずは、「誰とやるか・どこでやるか」です。これだけでいろんなパターンがあると思います。

よろしくお願いいたします。

☆オススメ☆「はじめて学ぶLGBT 基礎からトレンドまで」 

今年はブログがんばると思いつつ、下書きばかり増えてしまうこの頃。25年前の私ならすぐに公開したと思うけど、ちょっとでも引っ掛かり(炎上要素)があると投稿できないわたくし。そんな悩みの中で「フツーに100%おすすめの書籍や動画やブログや取り組みだったらすぐに投稿できんじゃね?」と思って書きづづる以下の記事。

2019年に出版された「はじめて学ぶLGBT 基礎からトレンドまで」という書籍、ちょっと前の本なのですが、とてもいい本です。星五つ中の五つ。ちゃんと通読できればジェンダー・セクシュアリティの大学の講座を通年取るよりも学びがあると思います。逆に活動家でもこの本で書かれていることを理解できてない人もいると思います。というか確実にいます。

良いところはたくさんあって書き出すのが難しいのですが。とにかく網羅性が高い!石田先生が書いてるので信頼できる!章や項目立てが分かりやすい!小項目は見開きで完結してて読みやすい!LGBTについて、何か知りたいという人には一番に薦めたい本です。出版される前は勧められる本がなかなかありませんでした。出版後もSNSでも燃えもしなかったので、あちこちの界隈で受け入れられ、評価されたのではと思っています。

私としては調査公害について触れてるのが特にポイント高いです。ひところよりは落ち着きましたけど、「LGBTの調査、研究」で「マジで腹立つ!!!」みたいなアンケートをSNSでよく見かけました。あとは先行資料を読んでないとか、まとめる方向性ありきでインタビューしてくるとか。そのあたりに釘をさしつつ、どうすればいいかの誘導もあってそこが特に良かった。これで変なアンケートが減ったのではと勝手に思ってます。(ゼロにはなってない)

網羅性が高いけれど「レズビアンの記述が足りない」という意見も見かけました。とはいえ「レズビアンの不可視化」について項目を立てて触れているんで良いのではと個人的には思ってます。正直「これがレズビアンです!」っていう情報は少ないですし。洋楽でもゲイ(男性)アンセムってマドンナ、カイリー・ミノーグやブリトニー・スピアーズとかたくさんあります。それに比べるとレズビアンアンセムというとレズビアン当事者の若干スケール感の小さい曲が多いんではと思ったりします。正直、レズビアンアンセムといっても私もピンとこないんです。(昨今ならチャペル・ローンなんかがレズビアンアンセムかも。昔に比べるとスケール感増してますね。)

と、話がそれました。個人的にはいわゆるアライよりも当事者に読んでほしいかなと思います。私は「レズビアンという井戸」に住んでて、他のセクシャリティにはあまり目が行ってないです。そこらへん、少しは井戸の外の空気を吸う助けになるのでは。

実は石田先生とはわりと仲が良くて、ご飯に行ったりすることもあります。ですが「仲いいから薦める」というわけではなくて、これは100% Pure Loveで書籍自体を推します。

https://www.natsume.co.jp/np/isbn/9784816365829

ごめん!生きてるよ!!

長いこと放置していたブログを再開しようと思います。

新しいPC買ってから(それ以前も)放置してました。

書きたいことはたくさんたまっているので、冬休みにいくつか書けたらなと思います。

よろしくよろしく。

おばさんがおばあさんになる前に(1)

55歳というほんの少し初老が視野に入る年齢になりました。

ここまで来て、気づいたことがあるので今の感覚を忘れないうちに書いておきたいと思う。

その1 体力が低下する

これは誰しも年を取ると感じることだと思います。でも、その体力低下が何を引き起こすかはあんまり知られていないのではと思う。

私の場合は老眼でインプットが減るにつれてアウトプットが劇的に減りました。このブログに投稿が極めて少ないというのが証拠のひとつで。

それとは別の問題もあって、ネットで一番アクティブに使ってるツイッター(X)でも社会的な投稿をしなくなった。しなくなったというより「できなく」なった側面が大きい。(ツイッターがヘドロみたいな場所だからということは措いておいて)

一番体力低下を感じるのはXで社会問題に言及できなくなったこと。言及自体はできなくもないけど、そのあとのリプライの応酬をする元気がない。同性愛者の権利や新型コロナ感染症の問題とか、アンチに目をつけられると地の果てまでリプライ付けられる。もう5年ほど?前になるかと思うけど当事者でなおかつLGBTの権利活動へのアンチアカウントに絡まれて嫌になって応酬止めた。しかしそれが彼らの成功体験になってしまっているらしくて、心底ぞっとした。

中途半端にリプライを返すよりははじめから言及しない方がましかな、と。ただ、アンチじゃなくてわりとメインストリームの活動をしてる人でも、「同性婚支持だから稲田先生は素晴らしい!」とか言う人いるのよ。(稲田朋美は議論の余地なく極右です)でも、こういうの指摘すると「待ってました!」といわんばかりにアンチがわいてくる。もう私には不毛なリプライラリーを続ける精神的体力ないんですよ。悲しいことに。

よく人口に膾炙する「かわいらしいおばあちゃん」は言いたいことがあっても、言ったあとの論争が面倒なので笑顔でやり過ごしているのではという疑惑が私のなかでわき上がっています。

老齢女性に限らず、社会的な立場の弱い人が良くする「やり過ごしの笑顔」というものを使い始めているかなと思います。

※長くなるのでその②に続きます。

2年ぶりにブログにさわりました

無駄にサーバーやドメイン代を払うこと2年あまり。

若いお友達にここのメールアドレスにメールを送ったと言われ、廃墟になりかけているところからスパムにまみれたメールをレスキューしたのが先ほど。

オーナーの気分で左右されるSNSプラットフォームではなく、自分の独立のサイトは大事ではとここいじっていて思いました。

また放置してしまうのではと思わなくもないのですが、自分で大事だと感じたことは自分のプラットフォームで書いておくのが良いのは自明です。2年経つと操作とかかなり忘れているのですが、期待せずにお待ちいただけると良いのではともいます。

かしこ

「First Kill」を観てモヤモヤすること

ずっと前に下書きで書いたものだから古いのですが供養ということで一つ。

私のツイッター周辺では評判の良いNetFlixオリジナルの「First Kill」

私にとっては少し気持ち悪かった。

禁断要素がないとレズビアン物はいけないのだろうか。

ふだん、あれだけ未成年の性的消費にうるさいのに、大体のレズビアンはチョロいんだなと。

私は「これ見てていいのだろうか」と

性的な暗示が花とか果物とかクラシックで。いや、クラシックなのは「ロミオとジュリエット」をはっきりと下敷きにしているので仕方ないかもしれませんが。なんか、20世紀のレズ描写ってこんなあったような気がしたし、バルコニーのシーンが本当にあったのも含めてワタシの笑いのツボに入ってしまって真顔が維持できなかった。

これに共感できるのは感覚若いんだろうなと思った。私は「子供は早く帰って寝ろ」としか思えなかった。が、レズビアンの関係性に対して性的欲求のある人には抗えない魅力があるんだろうなと。

二人を取り巻く環境が経済的にかなり恵まれていて社会問題のノイズが極めて少ないところや、メインのキャラクターがみな容姿端麗なのも視覚的にノイズが少ない。これもすごく気になっている。いろんなものを切り離さないと楽しめないシリーズだなと思いました。

もっと無心に楽しませろと言われそうだけど、「無心に楽しめない私がいる」というのも言論の多様性というところでよろしくひとつ。

パンツ(下着)が乾ききらない季節

梅雨ですね。じめじめして永遠にジーンズの乾かない呪われし季節!

洗濯しても部屋干しせざるを得なくて部屋の片隅で細菌の繁殖する気配を感じます。ので、オキシクリーン使ったり煮洗いで繁殖を元からたたきます。外に干せる梅雨の晴れ間が来るとホッとします。で、その梅雨の晴れ間の外干しですよ。隣のアパートに男(たぶん)が何の憂いもなくデカいトランクス干してる。見ると「チッ」と舌打ちしてしまう。私は実家離れてこのかた下着を外に干したことありません。やっぱり下着泥棒は怖いじゃないですか。

下着泥棒って「盗まれた」という物的被害もあるんですけど、(おそらく)性的なことが目的で盗んでる怖さもあるし。「ここに女が住んでいる」と特定されただろう怖さもある。

なので快晴の中、堂々と道路に向かって下着干してるのを見かけるとけっこうな確率で舌打ちしてしてしまう。

別にそこのパンツ干してる男性が悪いわけではなくて、女物(に見える)下着を盗む(だいたい)奴が悪いに決まっている。だけど、目の前で清々しくパンツ干してる人間の方を暗い理路で憎む(とまでは言いすぎだけど)。この頭の中の暗い短絡した考えの筋道は間違ってると分かっているのに不意に自分の中で起動する。

もう15年かそれくらい前に田舎の大きな家で暮らしている高齢の女性が、やはり清々しくおへそまでありそうな大きな綿パンを干しているのも見たことあります。やはりこの時もうらやみましたが、あの暗い情動とは違う。「私はいつになったらパンツ泥棒におびえずにすむのか」という内省の方が大きかった。

で、梅雨ですよ。微妙に乾ききってない下着をはく季節。ボーイレングスのグレーとかなら外干しいけるんじゃないかと逡巡しつつ内干しする季節が来ました。

追記:派手なパンツをはきがちなゲイ男子がジムや外干しでパンツ盗まれるのもよく聞く話ですが。なんか少し「怖さの質」が違うような気がするんですよね。