ボディポジティブが分からない!

 そのうち詳細書くつもりではいますけど、ワタシは数年前からいわゆるダイエットに取り組んでいます。当初は健康診断で指導が付くくらいの軽肥満っぷりでしたので「美の規範」からの要請というよりは「健康」からの要請だったわけですが。(「健康という規範」という観点もありますが、ここではスルーします)

 ダイエットに取り組んで、食事を制限して筋トレ始めて、BIM(ボディマス指数)で標準体重域に入るのにはそんなに時間がかからなかったと思います。ただ、見た目の「感じ」にワタシは納得いきませんでした。それと、ワタシはもともとジムに行くのが好き。筋トレ継続して「納得のいく仕上がり」を求め始めました。……で、愚か者が陥りがちなことなのですけど、ワタシは筋トレ楽しすぎて当初の目標ではなくパワー系の競技スポーツを念頭に置いたトレーニングに重点を置くようになります。ボディメイクではなく全身の協調性を使って重量を挙げる的な。で、まだ大会には出ていないのですが、マスターズのカテゴリーなら出ても恥ずかしくないところまで記録を詰めてきました。(トレーナーはマスターズじゃなくて一般でも行けると言いますが、それは勘弁してほしい)

 と、競技を念頭に置いてトレーニングしてたのですが、ふと頭に浮かんだのが「階級制スポーツなんだから階級下げた方がお得」……ということで、従来の週2-3回のジム通いに加えて割と厳密な食事管理を始めました。具体的には1日1400kcal目安で摂取、タンパク質は60~100g目安というカンジで。すると、わりとするする体脂肪が削れてくるんですよ。ワタシには毎朝、鏡の前全裸で体重量るルーチンが存在するのですが(一喜一憂しすぎるので体重量るのはパスすること多い)、徐々に腹筋の縦のライン出てくるし、背中にもぬるい感じで鬼の顔が出始めるので徳の低い感じでうひゃってます。まあ、元々ボディチェックを「ナルシストタイム」と命名してたわけですが。

 でも、心の中で何かがささやくんですよ「お前はなぜありのままの自分を愛せないのか」と。確かにワタシは社会が要請するボディイメージに迎合している。(ちょっとマッチョ寄りだけど)でも、数年前の自分の体をありのままとして愛するのはかなり無理。できれば数カ月先の仕上がりをありのままとして愛したい。なので、半分イチャモンだとは分かってるのですが、「ありのままのプラスサイズモデルだってメイクしてんじゃん。ワタシの大殿筋だってボディメイクで練り上げた努力の結晶だよ!」とか小学生みたいなことを考えてしまう。ボディポジティブ運動は「社会における痩せ=美しいという規範」に対するアンチテーゼなのにどこに反発してんだよと。バカか。

 と、ワタシの中でそういうコンフリクトありつつも、全力を出して重いものを上げ切った時の原始的な喜びや鏡の前でうひゃれる楽しさが大勝して、ジム通いと食事管理続いてます。ジム通いは中断期間もあったけど2年超え、食事管理はちょうど4週間です(これ書いた時点、このあと2週間ほどスリップしてます)。筋トレやボディメイクは「何を目指してるの?」と言われがちなものですが、ワタシの中の理性を超える「楽しさ」のためにやっているとしか言いようがありません。万人にはお勧めしませんが、「身を焼く楽しさ」は確実にあるので、またこの辺のことは書きたいと思います。(特に競技スポーツについての考察など)

 それにしても、ワタシはボディポジティブへの理解が薄いし、根本的に分かってないのではと思うこの頃です。

災害とレズビアン その1

 ごたいそうなタイトル付けましたが、自分で編んでる非常持ち出し袋の中身をさらすというだけのコンテンツだよ! 19年の結構大きい台風が東京を直撃しそうになった時に必要性を感じましてね。台風待ってる時に雨戸閉めたり外に出てるもの仕舞ったりとやることやったらあとは暇じゃないですか。お友達とのLINEグループで非常持ち出し袋の中身をさらし合ったのがきっかけ。この時は手持ちのジムバッグにあれこれ突っ込んだだけだったのですが、ここから非常食とか少しづつ追加しています。まだ完成してないのでそこはご容赦くだされ。

 まず、ガワの袋そのものですが、これはアマゾンで新しく買いました。台風の時に暫定的に詰め込んだのはジム用のメッセンジャーバッグだったのですが。普段使いしてたらいざという時持ち出せないし。(台風なら詰める時間あるけど地震だったら即持ち出せないと)

アマゾンの履歴みたら2019年の10月に買ってますね 3699円 ちなみに右側にぶら下がってるのはフライパンです

 非常に備えるとはいってもどの程度の非常なのか、というのは大きい問題なのですが。自宅で3~5日持ちこたえることができる、もしくは近所の避難所で多少は快適に過ごせそう、なのを想定してます。で、今詰め込んでるのは下のようなもの。

 右上から時計回りに ①Tシャツとマスク3枚 ②生理用品 ③救急キット ④エアーマット ⑤ちょっとした口にするもの(ポカリスエット、ラムネ、干しいも、プロテイン ⑥アルファー化米6食 ⑦嗜好品セット(ティーバッグ、チョコ、砂糖など) ⑧ショッピングバック ⑨いなばの缶カレー×2 イワシのトマトチリ味×2 ミックスフルーツ缶 ⑩ウエットティッシュ ⑪食器かわりのお弁当箱と歯磨きセット ⑫なぜか入ってる紙皿とお箸 ⑬イワタニのシングルバーナー ⑭手ぬぐい2枚とメガネ2本 ⑮虫よけ

 何で入れてるのか分からないものもあるのですが、着替えをまだいれてないので入れなければというカンジです。実は着替えに何を入れるかが考え物で。季節ごとに入れ替えるべきではないかとか色々考えてます。まあ、3日分の下着と靴下は入れておこうかなと考えてます。

 例の10万円の使い道ですが、気にかかってたけど優先度低くてできなかったことに回すと良いのではー、とか思ってます。(で、シングルバーナー買ったので、お友達とちょっと高尾山でも行こうか、とか話してます)

 なんだかんだ、マイノリティは何かあった時に死にやすいんですよ。おそらく避難所も居心地悪いのではと想定されるし。ちな、生理用品入れてますが、ワタシはほぼ閉経してるので自分用ではないです。持ち出し損ねた近所の人や知り合いのFTMの子が困ってる時とかにこそっと渡せたらいいなと思って入れとります。

「ブス」という役割 その②

 何度もあちこちで語ってますが、1992年6月6日に「MONALISA」というレズビアン向けのクラブイベント(その後、改称して「GOLD FINGER」)に行ったのがワタシのレズことはじめ。で、これを皮切りに二丁目だの真面目なフェミニズムっぽい集まりだのに行き始めました。いま、ワタシは「つっちー」と名乗ってますが、最初から「つっちー」だったわけじゃなかったのです。このいわゆる「デビュー」当時は本名そのままの「ゆき」を名乗ってたんです。二丁目でよくレズが名乗る通り名というのがあるのですが、ジュンとかユウとかナオとか。それに並んで多いのが「ユキ」でした。どれくらい多いかというと表記違いでもオフ会行くと必ずダブりがいる程度には。

 と、たまたまダブりの多いゆきという名のワタシですが運の悪いことに同じころにデビューしたゆきちゃんがもう一人いました。そんでその子は活発だけど髪が長くてメイクもしてて今でいうフェムっぽい感じ。ワタシはというとショートボブにすっぴんでタチともネコともつかない中途半端な感じでした。ということで、その髪の長いゆきちゃんは「かわいい方のゆきちゃん」ワタシは「そうでない方のゆき」とほんのちょっとの間呼ばれることになって、さすがに嫌すぎるのでつっちーと名乗ることになったのでした。嫌すぎるというか、普通に傷つきますよね。

 おそらく、「そうでない方」と言った人は「かわいいほうのゆきちゃん」の歓心を無理にでもかいたかったのだろうなぁ、と今なら同情まじりに思うことのできるのですが。「タチがネコを選別しようとする」レズビアンのタチ/ネコ文化はなかなか馴染めませんでしたし(今も割と無理)、「典型的にかわいい女の子」であるというのは一般社会で結婚せずに生きていくのを困難にさせました。ので、合理的な判断?としてワタシは「ブスという役割」を引き受けてしまい、それが固定すること数十年。割と最近まで自分が「ブスである」という自意識を持ち続けていました。

「そうでない方」と言われてから約3年後 今見るとたいしてブスでもないと思うんですよねぇ……

 ワタシが「ブスという役割」を捨てたのはほんのここ1年かそこらの話です。ダイエット通じて美容にも気を使い始めて、「アレ? ワタシちょっとイケてんじゃね?」と思えるようになり。もう50歳も超えれば職場のやり取りの中で発生しがちな「異性との結婚」への誘導にもさほどおびえずに済むようになりました。二丁目でも恋愛市場から(不本意ながら)抜け出してるのでワタシをジャッジする人はもういない! ワタシは自由だ!!

 なので、たまーに行き会う感じ悪い古いレズがワタシをブス扱いしてきても、「パードゥン?」という態度取れます。自分を卑下しないで済むのって気分いい!そして、ブス扱いしてきたヤなレズが慌てたりするので。「やっぱりワタシのことホントはブスだと思ってなかったんじゃないか!」って思います。……この一連のワタシの経験、腐った分断統治カルチャーが一部のレズビアンにも浸透してた証左の一つだと思うのですが、レズビアン特有の「タチ/ネコカルチャー」と悪魔合体してたのでややこしかったですよね。(ネコの持つべきジェンダー表現からはみ出すけどタチじゃないのが「ブス」というカンジで)

 と、これだけ読むと、「レズビアンのルッキズムは厳しい! ひどいところだ!」とジャッジする他分野の人がいそうな気がしますが、恋愛からむところでルッキズムのない所は恐らくないし。ゲイのルッキズムに比べるとさほどでもないのではなかろうか……、と個人的には思っています。

 容姿をめぐる分断統治カルチャーですが、この呪いを祓うにはおそらく「ボディポジティブ」が一番のお札になると思います。けど、ワタシは違うルートで楽になったという話。どっとはらい。(これはマジでハッピーエンド)

「ブス」という役割 その①

 ちょっと前に志村けんが亡くなったじゃないですか。それで、YouTubeに違法アップロードのコントが大量に出たのですが。ワタシは「8時だョ!全員集合」の全盛期にコドモ時代を送ったので、親が見せてくれなくてもまあ、懐かしいなと。その懐かしさにつられて観てみたのですが、まあひどい。特に研ナオコへのブスいじりひどすぎてみるに堪えないコントが多かった。ナオコいじりもつらいのですが、それを見させられている当時旬のタレントが死んだ顔で笑ってるのがまたつらい。そもそもナオコはブスじゃない。標準より目が離れてて口が大きいのですが、小顔で痩せててオシャレ! って、それは「個性」というものでは? と、やはり違法アップロード?の「夏をあきらめて」を聞く2020年の梅雨、鬼レズ51歳。

「ブス扱い」されてたから目がくもってましたが、今見ると個性的でステキだと思います

 「ブスいじり」は現在も続いていて女芸人と呼ばれる人たちは「いかにうまくいじられるか」を競っているようで(ワタシはテレビを見ない生活をしているので最前線のお笑い事情にはうといのですが)。個人の選択というのはそうなのですが、女性に「美人/ブス」の役割を振って処遇を露骨に変えるカルチャーはあまり良いもののように思えないのです。

 「役割」と書きましたが、美人はともかく「ブス」の役割ってそれを名付ける人の恣意で行われるもので、あんまり現実の美醜を反映してないと思うのですよ。「ブス扱い」されてる女芸人の顔見ても大してそんなにブスには思えないし、なにより人目にふれる仕事してるからあか抜けてますよね。人によってはわりと好みだったりします。うん。なにより、路上でナンパかなんか断られた男が悔しまぎれに「ブス!」とか捨て台詞吐くじゃないですか。さっきまで「ワンチャンあれば……」とか思ってた女性によく言うね! って話ですが。

 で、ブスでもない女をなぜブスと呼ぶかなのですが。これ、分断統治の一種なんだとワタシは理解しています。ナンパを断った女性を「ブス」と呼ぶように「生意気」とか「ものを言う女」が「ブス」と呼ばれがち。そして、あからさまに粗末に処遇する。逆に「美人」はチヤホヤされるのですが目の前でブスが粗末に扱われているのを見せつけられてるので声を出しづらい。と、わりと良くできたシステムですよね。人の容姿への好悪はわりとプライベート領域に属すののでパブリックに問題としづらいですし。(例としてフツ顔なのにブス呼ばわりされる女芸人のこととか書いちゃいましたが、逆にフツ顔もしくは微妙なのに美人扱いされる役回りの人もいますよね……)

 本質的にはあまり変わりばえしない人間を容姿(実は現実の容姿ではない)で分けて物を言わせない腐ったカルチャーであって、ワタシはこれを有害なものだと思うのですが。それでも研ナオコと志村けんの夫婦コントの「なまたまご~」を見るとひきつけ起こしたように笑ってしまうのです。ホントにワタシってダメだなぁと思いますねー。

 ここまでは「男って最低!」ということで済ませて楽になるのが定石ですが、まあ古いレズとしてはこのカルチャーがやっぱりレズビアンにも染み込んでしまっていることを次回書こうと思います。(つらい)

二丁目レズビアンバーに魅せられて

 こないだはワタシのリブ活動事始めの「LABRYS DASH」の96年創刊号について触れましたが、ワタシが関わっていたのは1~5号まで。辞め(させられた)た理由はというと、内部の人間関係の悪化。わりとワタシは巻き添え食った形だったと記憶しています。当時は「そんなンひどいだろ!」と外部に訴えることもなく、担当していた人にもあいさつすることすら許されずにひっそり辞めたものでした。その頃は波風立たせずに「とにかくDASHに傷が付かなければ」と思ってたので、まあ健気でしたよね。ただ、ここで「追い出され癖」が付いてしまって、しばらく理由にもならないような理由で追い出されることが何回も続きます。ワタシ自身もあきらめが早くなって「ダメだこいつら」と思って気配感じた時点で消えたりするようになってしまいました。この辺はリブの暗部とも言えるかもしれません。

5号表紙 版型変わらずA5中綴じ ページ数はけっこう増えてて表紙込みの52ページに

 と、恨み節っぽくなりましたが、そんな薄暗い活動世界とまた別個で自分の持っている世界が二丁目を中心にして広がる夜のレズビアンシーンでした。活動に傷ついて訪れても夜の世界はいつも優しかったのです。

 というわけで、「勝手に作れば?」みたいな感じで特集記事作成が放り投げられたので、自分の趣味を貫いて、お助けスタッフだったiちゃんも巻き込んで作ったのが「新宿2丁目特集」。ワタシとiちゃんが掛け合い漫才みたいに短文をポンポン交互に書いているのですが。基本的にここから自分の興味や芸風がほとんど変わってなくて「ヒエッ」って感じです。とりあえず、魅力減じますが自分の文章だけ一部再録。ワタシの人生を大きく変えたKINS WOMyNについて。レズビアンの活動シーンを大きく変えたのは掛札さんでしたが、夜のシーンを大きく変えたのはKINSでした。ここからずっとワタシは新宿二丁目のバーシーンに魅惑され続けています。

伝説のと言っても過言ではないKINS WOMyNがトップ記事

KINS WOMyN

わたしは「初めてなんですぅ~」ということにして、いろいろ聞き込もうと企んだのである。もう何度行ったか分からないけど、細い階段を昇っていくときはいつもワクワクする。近づくにつれてダンスミュージックが大きくなり、ドアを開けると音とタバコの煙が頭から浴びせかけられる。その瞬間「つっちー!ひさしぶりじゃーん」……すべての設定は崩れ去った。Taraさん(注)にジントニックを注文しても、「最近よく見るね」。ああ、そうなんです。二丁目は初めてなんて言ったらエンマさまに舌を引っこ抜かれます。さらに奥には昨日もここに来ていた古い友人。奴は失恋したばかりなのだ。二日運続で会ってしまうという所がお互い実にトホホである。友人同士の近況報告やら新しい友人の紹介やら。人の噂話にあくまで憶測、有名人をみかけた話。どんどん人が増えていき、立ち飲みの人でいつばいの溝員電車状態。何だか知らないけれど目ざとい友人に「活動家のつっちーだ」と紹介される。何だそりゃと思うが、何をやっているかと興味を示す人もいる。当然、ダッシュのことを話すが反応がいいので調子に乗って映画祭(注)まで説明をする。ヤケになってサロンポジティプ(注)の営業まで始める。初心者どころか超ベテランって感じ。そんな馬鹿騒ぎの中でまだ慣れてなさそうで壁にもたれて一人で飲んでいる新人さんらしき子がいた。あれはX年前の私だ。みんな友連同士みたいで入り込めなくて。自分から声をかけるなんてできなかった。そんな私が「つっち一つて、どんなセックスしてるの?」と聞かれて、「知りたいんなら寝てみなきゃねー」と私は相手の肩に手を回したりするようになった。思わず遠い目をしてしまったわ。(原文注・Taraさん 店長さん。KINSの別名はTara’s Barという。 映画祭・今号の第2特集参照。 サロンポジティブ・本誌「アクティビスト通信」執筆の溝口さんが主催するサロンパーティー)

(1997年春号3月発行より)

 ひどい。ホントに芸風が変わってない。ワタシの新宿2丁目への思いは同人誌としてまとめている「東京レズビアンバーガイド」にたっぷり書いているので、そちらを参照してもらうとして。ワタシ、いわゆる活動家を長年やってて傷つけられることが本当に多かったんですよ。そんでも、夜の街はいつも優しくて慰められたものです。

 それにしても「活動」って難しいですよ。みんな善意で集まるのですが、方向性や方法論が違うとギクシャクするし、ボランティアだから能力差も隔たりがすごい。ここに金とか金銭以外のプロフィットがあればそれで右向け右ができるのでしょうけど、わりと最近までいわゆる「セクマイ」の活動は100%の手弁当のボランティアで成り立ってたのでそれもできなくて。活動の運営自体が手探りの、いろんなものがゼロからの時代だったと思います。ワタシ、いまだにつらくて思い出したくないことがたくさんあります。

東京セントリズムを脱するために

 地方に住んでいると感じる不満のひとつが「首都圏発の情報ばかり」というのがあると思う。マスコミにおいては本局がだいたい東京にあるし、勤めている人も首都圏出身者が多かったりして「地方」への視線は薄いか、情報を「吸い上げる」対象だったりすることが多いのではと思っている。首都圏で生まれ育つ、ということ自体が権力である、のですが。今回はそこの話はおいておいて、再録を起点にまた昔話をしたいと思います。

創刊号表紙にlesbian&bisexual womyn という表記が見えます 当時の主流表記ですね
表紙込み44ページの中綴じ冊子です それを隔月刊、スタッフ3人という無謀

 ワタシは96年に「LABRYS DASH」というレズビアン&バイセクシャル女性向け(※注1)のミニコミの編集スタッフを務めたときからが自分の「リブ活動」の皮きりだと位置づけています。が、その記念すべき第1号の特集が「つっちーの日本全国ビアン旅」だったのです。これ、この当時は「LABRYS」というミニコミ誌(掛札さん※注2 が主宰してたもので、LABRYS DASHは単なるここの後継誌)の影響で日本各地に当事者コミュニティ的なサークルがぽつぽつできていた時だったんですよ。で、ワタシが実際にそこへ出かけて行ってルポ記事を書くというもの。そのおかげか地方の人たちに「つっちーは地方への目配りのある人」という評価をいただいたのですが、ワタシの記憶ではスーパーバイザー的にダッシュにも関わってくれていた掛札さんに焚きつけられたような記憶があるので、掛札さんの慧眼のおかげだったよなぁ、と今は思います。(当時はアラサーかそこらの若い掛札さんにアドバイス受けるたびに「クッソババア」とか内心思う不遜な若者でした)

特集ページのトップ 広島のサークルの記事は再録してよいものか悩みますのでモザイクらせてください

 特集は広島のサークル「SOUL MATE」、京都のクィアスペース「アートスケープ」、京都大学の「プロジェクトP」、京都のメトロで開催のクラブイベント「CULB LUV +」、大阪の活動グループ「OLP」、大阪のDAWNで開催していたクラブイベント「LESBIAN NIGHT」と紹介が続く。ところどころに麻姑仙女さんや関西クィアフィルムフェス、ドラァグクイーンのメロディアスなどについてのコラムがはさまるボリュームある構成でした。本来なら地方のレズビアンサークルのルポを引くべきかもしれませんが、この頃のミニコミが会員制だったことなどを考えると安易にここに引いていいのか迷います。なので、そのころの当事者が見ても許してくれそうな……、ワタシが当時何を考えていたのか分かりやすい「アートスケープ」の一文を引きます。

京都の奇跡 アートスケープ

 京都大学に程近い木造の一軒家、そこがアートスケープ。
 関西セクシャリティ関連の4つの事務所(エイズポスタープロジェクト(A.P.P.)、関西の映画祭(Q.F.F.)等)が入っていてアーティスティックかつ質の高いものを発信し続けている。また、二階には宿泊所もあって私も二泊お世話になった。……なんて固い紹介は止めにしよう。業界梁山泊といった方がいいかもしれない。
 ゲイバイレズビアンヘテロにその他大勢がああでもないこうでもないと学校の部室のようにたまって雑談をし、マックをいじってポスターを作り、何だか無意味に寝泊まりする人もいるし真面目に細かな手作業をしている脇でただ漫画を読んでいるだけの人がいたり。どんな人が何をしていてもいいですよーという雰囲気。セクシャリティ自体を語るよりもいろんな人がいて(それが当たり前として)その中でどう話して手をつないでいくかが強いところだ。こういう所は東京にもないね。
 終電を逃したといっては別に4つのプロジェクトとは無縁な人もやってきて真夜中まで雑談して帰っていく。雑談にしておくのが惜しい冴えた話もある。それからプロジェクトが生まれてくることもあるんだろう。単に品のないお下劣な下ネタ雑談の時もあり……。すごく力のある真面目なことをやっているのに和気あいあいしてる!
「レズビアンだけ!」と、囲うことでクリアになる問題もあればアートスケープの雑多さで生まれてくるバイタリティーと視野の広さもある。
 私にとってはミックスを推し進めるのは人生の大命題の一つだったのにさ、こんな所がもう存在してたなんて。信じられないような気分だったよ。とにかく啓発されるところざます。近畿の大物はほとんどここにくる。

 と、熱のこもった文章書いてますよね、24年前のワタシ。このあと様々なことがあって、「きちんと考えて対策立てないでミックスやると力の弱い人が追いやられるだけになる上に、『ミックスやった』という言質を悪質な人間に与えるだけ」というのが分かってしまいました。安易なミックスやると一般社会のさらにミニコピー作るだけで人が死にます。つらみ。

 読み返すと、目配りの足りないところがたくさんあります。文章自体も「中黒じゃなくて三点リーダー使えよ!」とかあらが目立つので(さすがに中黒→三点リーダー、ハイフン→長音符に変更かけました)「26歳なんてこんなもんなのか」とかガックリ首が折れますね。といっても、このころのワタシの熱意は本物だったので(当然自腹取材で労力もすべてボランティア)。今の自分ならお小遣いのひとつもあげたいなと思いますよ。あの頃のワタシはレズ受けしやすい容姿だったしね!

 でも、この特集記事のルポを書いたおかげで日本のあちこちに知人友人ができて、それぞれの地方で活動のスタンスや「色合い」が違うことを肌で感じることができました。今現在、東京で成功している方法論をごり押しで地方都市に持ちこもうとする動きがあるというのも伝え聞きますが、何はなくとも活動は「そこに住んでいる人たちのもの」でなければならないと「ワタシは」思いますよ。

※注1 当時はLGBTとかクィアなどの言葉は一般的ではなかったので「レズビアン&バイセクシャル女性」という表記ががもっとも適当だったと思います
※注2 掛札悠子さん まさか掛札さんに注を入れなければいけない時代が来るとは思いませんでした。90年代にカムアウトしてメジャー出版社から書籍を出した人、であるにのみならず、ミニコミ出版、フリースペース創設、講演活動と活動の幅が広く、その影響は大変大きい。書き続けると本文より長くなるのでココ(http://onilez.hatenablog.com/entry/2017/09/20/215332)とか参考にしてください。ワタシはまさにポスト掛札を生きたレズビアンだったと思います。

ステイホームで買ってよかったもの(お気持ち編)

 ブログとしては長い文章になったのでちょっと無理してふたつに分けました。コレ、お気持ちなの?というものもありますが、お気持ちってことで。

①筋トレセット(リーディングエッジベンチ&アイロテック20kgダンベルセット)

本文ではベンチとダンベルあれば大体何とかなるとか言ってますが、ベルトやグローブやサプリメントあった方がはかどります

 ツイッターの方を見ている方には説明いらないとは存じますが、ワタシはしばらくダイエット&ボディメイクのためにジム通いをしていまして。ジム休館に伴い、せっかく練り上げた筋肉失うのも悲しいので。ベンチとダンベルあれば大体のことはできます。お友達がダンベルくれるというのでベンチを速攻でぽちりました。この後、筋トレグッズがどこもカラッカラに売り切れましたので、ワタシは運が良かった。男性だと片手10kgのダンベルは軽すぎると思いますが、女性ならぼちぼちの重さですね。これで最低限の健康保ててると思います。筋トレ自体のやり方についてはYouTube見るか何かしてください。(おそらくそのうち書くとは思いますが)ベンチはフラットベンチですが、足を折りたためるので場所はそんなに取りません。ダンベルもプレートを付け外しするものなので以下同文。それより、ワタシの部屋の「オメー、運動するような人間じゃないだろ」感強い中で存在感放ってるのを何とかしたいです。それにしてもジムの休館はまだまだ続くようなので、バーベルまで買おうかどうかと悩んでおります。(6月1日より再開の模様)

②電気ケトル&コーヒードリップセット(ドリテックステンレスポット&ハリオV60)

 家にいる時間が長いとなれば、ゆっくりコーヒーでも飲みたいもの。で、気楽に買ってみたのですが、すごく良いですね。何でもっと早く買わなかったのかと後悔するレベルで。特に電気ケトル。当然、コーヒー紅茶も良いのですが、白湯をたくさん飲めるのが良いです。白湯はいいですよ、カロリーゼロだし。もしかしたら小さなレトルト物なら温められるのではないかなぁ。唯一欠点はステンレスの表面にワタシが映り込んでしまいSNSに食卓写真を上げにくくなったことくらいでしょうか。

③タイパンツ(マーライ・赤)

 家ではゆったりしてたいけどジャージやスウェットはちょっとねという諸姉におススメ。もともとワタシは自分でタイパンツ縫ってたのですが、物によっては生地買って縫うより安く売っているんでぽちりました。アマゾンで買ったものは織り柄あってさらさらとしてて縫製も悪くない。サイズがたっぷりなので、上手に着付けるとロングスカート風になったりサルエルパンツ風になったりで楽しいです。なのにタイパンツの特性を理解しないで星を低くつけてるレビュワー多くて気の毒で。食べログと並んでアマゾンレビューはあてにならないなあと思いました。(逆に星の低いレビュー読んで食べに行ったり買ったりする気になるわけですが)

④メイクボックス(ニトリ コスメオーガナイザー?)

 ワタシね、化粧あまりうまくないんですよ。ちゃんと塗るとだいぶマシになるのは分かっているのですが。そんな風に苦手意識が先に立つとメイク道具類の扱いも雑になるわけでして。細長いカトラリーボックスに一切合切入れて、毎朝出勤前にガラガラ底までさらってました。が、これはあまりに不合理だし気分も上がらない。で、ニトリのメイクボックス買いましたよ。ボックスというか整理トレー。ブランド的には上がる要素ないのですが、毎朝使うもののアクセスが段違いに良くなったので買ってよかった。今検索すると同じものが見つからないです。ので、商品名分からないですすみません。透明アクリルで清潔感あるのは良いところなんですが、やっぱりちょっと安っぽい。似たような構造で木製か布張りのがあるといいなーと検索しているところです。化粧入れる箱をヴァニティーボックスといいますが、「虚栄の箱」というよりは社会的に求められる身だしなみを合理的に行うための箱、というカンジですね、ワタシの場合。

番外 食事のデリバリー(洋食テンカウント ミックス定食)

デリバリーをお皿に盛りなおしてインスタントのお味噌汁付けたとこ 割とちゃんとしてません!?

 お片付けしてるとですね、なんか料理したくなくなるのですよ。それは手がホコリっぽくなるせいなのか、脳ミソの機能の問題なのかは分からないのですが。仕事してない時は8割くらい食べ物のことを考えている人間だったとは思えません。ステイホーム初期は食材まとめ買いしては作り切れなくて無駄にしてしまいました。なんか雰囲気殺伐としている上に欠品の多いスーパーに行くこと自体が嫌になってましたし。そんなところにお安いフードデリバリー出現。ツイッターで何かの拍子に回ってきたのを見かけたのですが、中野区内なら配送料無料というのに惹かれまして(今は配達料あります)。あと、試しに取ってみたらボリューム凄かった。さらに取り続けていくうちに味の改良がされていくのも手に取るように分かりまして。これはいいぞとリピートかけてます。そもそも一人分千円切るデリバリーって難しいんですよ。すかいらーくグループのラークルも安いのですが、最低金額1500円なので2人前をまとめて頼まねばなりません。テンカウントさんは、こってりたっぷりの男飯ですが、定食が880円なら納得します。本業はラーメン屋さんということなのでいつまで続く業態か分かりませんが、ステイホーム中はかなりお世話になってますし、ワタシの冷蔵庫のフードロス削減に貢献してくれてます。

ステイホームで買ってよかったもの(機能性編)

 いつもですね、息を止めて思考の海に潜って真珠を探すような文章ばかり書いていらんないわけですよ。潜ったからって真珠がいつも手に入るわけではないですしね!手がかからないはずの再録だって注釈つけたり今の見解加えないと意味が分からんもの多いですしね。というわけで、ステイホーム中に買ったりもらったり借りたりして良かったものについて書き連ねます。(書いてるうちに長くなってしまったので機能性編とお気持ち編に分けますねー)

 ちなみにステイホーム中、ワタシは数十年単位で片付かなかった身の回りをついに片づけました。その辺の動機となったことと役に立ったもの。

あれこれやってここまでたどり着きました

①デスクチェア(IKEAフリンタン)

 部屋を片付ける原動力になったのは「やっべ、テレワークできる環境作らなきゃ」でした。んで、肝心のデスクですが、わが部屋にそんなもの置いたら寝る場所なくなるわ、てなことで押入れの一角をデスクとして運用することにしました。ただ、ここに大きな問題が。押入れの上段の高さって結構あるんですよ。実測86㎝。普通の椅子に座ると確実にキーボードに置いてる手がゾンビポジションになる。インテリアデザインやってるお若いお友だちに相談したら「椅子の座面は机の高さマイナス25~30センチが目安」ということで。座面の高さが55~60㎝ないといけないというやつ。実際座れて座面の高いもの、そんであんまり高くない。ということでステイホームせずにちょっとだけ行きましたよIKEA、ザウスの跡地(バブル)。無駄に筋トレで力のあるワタシなので配送頼まずに自力で持って帰ってきたのですが、買ってよかった!足はぷらぷらしちゃうけど、座面広くて疲れない。押入れデスク万歳!

②デスクライト(PHIVE LED デスクスタンド クランプ ライト )

 押入れデスクですが、押入れなだけあって光が差さない。液晶画面は明るいですが、それに頼るのもどうかということで。はじめはゼットライト買おうかと思ってたのですが、改装のトータル出費におびえて日よりました。(この時点では給料が全額保証されるか怪しかったので)アマゾンで購入。まあまあ良いものですよ。ZOOM会議とかしてて色温度変えられるライトの方が良かったかなーとは思いますが。手元が明るいと気持ちが明るくなります!ライトは買うべき!

③電源タップ(IKEA コップラ5個口 USBポート2口付き)

 またIKEAで恐縮なのですが。IKEA楽しいですね。ネットであれこれ見てると時間が蒸発します。実際に行ったときはろくに見ないでダッシュで目的の物だけ買って帰ってきたので、世情が落ち着いたらゆっくり落ち着いてみて回りたい。できれば気の合う友人と。それはさておき、仕事場のデスクでも問題になるのがコード類。オフィスではパカパカ開くコード収納場所が確保されてますが、押入れデスクにそんな気の利いたものはない。ということで、USB給電のできるタップ買いました。いや、これは買ってよかったですよ。しまい込めるわけじゃないから視覚的にはうるさいですけど、機能上はまとまりましたので。特にUSB給電いいですね。パソコンのUSBをふさがなくて済みますもん。別にIKEAでなくても良いと思いますが、デスクまわりのタップでしたら迷わずにUSB給電できるもの買った方がいいと思います。

④ハンディクリーナー(フカイ工業FC800)

 これ、「何で買ってなかったの!?」ってもの。喘息持ちのくせに雑然とした部屋に住んでたわけですが、今回の片づけにあたって購入。性格上、「さあ、掃除すっぞ!」と大きな掃除機取り出してガーガーかけるより、目についた都度でサッと吸いとる方が向いてました。そもそも、こんな極狭部屋で大きな掃除機いるのだろうかという。紙パック式じゃなくて吸いとったゴミが見えるのもワタシに向いてました。

⑤ノートパソコンスタンド&キーボード(もらいもの&エレコムTK-FCM062BK)

 お仕事の貸与パソコンが小さなThinkPad で姿勢辛くて、お友達のこの方向性での賢人に勧められたのが「ノートパソコンスタンド&キーボード」の組み合わせ。はじめはディスプレイ買っちゃおうかと思ったのですが、まずはこれで運用かけています。確かにコスパ良いですね。自前のノートパソコンだと、操作感はデスクトップと変わりませんもん。(ThinkPadだと2窓開くのやっぱりつらいのですが)この組み合わせだと両方買っても5000円程度なので。自宅でパソコンいじらない派ならこれで充分かと。それにしても、キーボードって安いんですね。送料込みで1000円しませんでした。昔と違って、プラグさしたら勝手に認識してくれるし。若干カシャカシャいうのが気になりますが、ミスタイプ激減しましたもん。このブログ書くのにもストレスないし、買ってよかったです。(と、直接触るものなので、ストロークの深さと音が気になるのでもしかしたら買い替えるかも。……沼の予感)

……というわけで、「お気持ち編」に続きます。

軽微な課税(極々私的な感覚について)

 いわゆるコロナ禍の中、皆様いかがお過ごしでしょうか。ワタシはわりと自宅待機が長く、仕事せ(でき)ずに、部屋を片付けたり縫物をしたりこのサイトをオリジナルドメインまで取って立ち上げたりしていました。とはいえ、やっと先日パソコンが支給されまして、テレワーク開始と相成りましたが。

 オンオフはっきりさせないとな!

 で、片付けやツイッターなどで自室でうごめいていた時と違い、始業前にブラジャーしてオフィスカジュアル(失笑)に身を包み、近所のコンビニにコーヒー買いに出てまで気分転換してます。ここまでオンオフはっきりさせようとする人も珍しいみたいなのですが、ワタシはハッキリ気分転換したい方。何でかと考えてみましたが、あんまりいいことではないのに気が付きました。気分転換しないとワタシは

 レズが染み出しちゃう!

 ワタシ、今の仕事場ではカムアウトしてません。名前で検索かければ一発で分かりますけど、ばれたらばれたでまあいいか、否定はしません、という程度で。それでも積極的にカムアウトする気がありません。なんでかって、今のワタシの仕事とか簡単に首すげ替えられそうだしな。不安要素はあまり導入したくないのです。

 わりと古い体質の小さめ企業を渡り歩いてきたワタシですが(専門性の問題として仕方ないのです)、やっぱり「女性としての役割」を求められるし、マシになってきたとはいってもプライベートについて何となく聞かれることもある。やっぱり「男とつがわない」というのが強く出てるのは好まれないんですよね。ノンケの振りこそしないのですがその辺は強く出さないようにしています。口にはしなくても「ご縁がなくって~」「もうこりごりです~」という「雰囲気」打ち出してるわけですね。ワタシにとってのオンは「セクシュアリティを透明化する」ことに他なりません。

 現在の日本企業の風土をかえりみるに、同性愛者当事者の居心地は決して良くは、ない。昔はカムアウトして働く元気ありましたが、今はありません。一部、パレードの支援スポンサーになるような企業もありますが、ネットフリックスだろうとハフィントンポストだろうと日本の土壌に植えると腐るので、プライドとかレインボーも似たような感じで腐って行ってるんだろうなぁと。シスヘテロ男性の父権制への奉仕と新自由主義とに侵食されて。大半は「アライ」のための活動にワタシには見えてます。当事者そっちのけで「アライ」がきゃあきゃあ言ってるの見るとそう思っちゃう。当然、ワタシという同性愛者がどう処遇されるのか見えづらいです。(あんな大企業では働けないだろ、というのも分かってますが)あの辺は若い世代の新しい企業風土の話で、ワタシにはあまり関わりないと思ってますよ。と、閑話休題。

 ワタシを含めて、たくさんの同性愛者がセクシュアリティを透明化して働いてるんだろうなと思ってます。短期的には一番波風立たないし、賢いやり過ごし方だと思います。だけどねえ、朝の儀式を通さないと透明化できないという「ほんのちょっとの手間」がけっこうずっしり来るものでして。ちょっとずつ人より多く消費税を払ってる感じ。もちろん昔に比べたら税率下がっている感覚はありますけど。(これは戦ってきた自分をちょっと誇りに思う)

 マスコミに取り上げられるのはアウティングされて失職とかパートナーとの死に目に会えないとかの大きく悲劇的な例が多いけど、ワタシにとってのつらさは「他の人は払わなくていい軽微な税」を社会に対して一挙手一投足ごとに支払ってる感覚そのものです。(ここでネットを通じて知った「例えが分からない人」に対して解説するけど、実際にマネーを払ってるわけではなくて心理的なコストの支払いのことね)同性婚もできなきゃ死ぬわけではないけど(実際ワタシは死んでないし)、日常の消費税から解放されたいという「出口のひとつ」なのではと思います。

 と、ここのブログは週末に書いて、1週間寝かせてまた週末公開というサイクルで回してます。明日からまたテレワークなのですが、ちゃんと身支度整えて家の近所をぐるっと回って「通勤」した気になって戻ってくるでしょう。レズが染み出さないように!

……とか書いてましたが、非常事態宣言解除されて東京都はいくつかのステップを踏みながら日常へと戻っていくことになりそうで。ワタシのテレワーク生活も終わりを告げました。ここのブログは「週末書いて翌週末アップ」というサイクルで回すことにしているのですが。時事ネタはちょっと考えないとね。

「完璧じゃない、あたしたち」レビュー そこにあるけど見えない差異

「完璧じゃない、あたしたち」という短編小説集がある。奥付には2018年1月25日発行とある。奥付の発行日と実際の発行日が違うことはままあるが、ワタシはちょうどそのころ足を骨折した。ので、この本はボルトを2本埋める手術の後、冷たい針で縫ったような痛みをたまに感じながら病院のベッドで読んだ。

読み終わった後、病室で「あれ……?」って思いました (詳細本文)

 ツイッターで作者の王谷晶さんのツイートはよく見かけていた。政治的スタンスも良くうなづけるもので、レズビアンであることも公言している。ワタシよりは一回りは若い作家ではあるけれど、「私たちの作品」に共感する気満々で読み始めた。が、一気に読み終わって期待していたものと全く違う世界がそこにあって、それがワタシをわりと打ちのめした。

 出来の悪い小説だったわけじゃない。逆に良く書けてたからこそ打ちのめされた。23本の短編、そこにはワタシの影すらもほぼ存在しなかった。

 同時代を生きる首都圏のレズビアンの生活が交差しないことなんてあるのだろうか。それはある、厳然とある。「完璧じゃない、あたしたち」に描かれているのは北関東の小都市、そこに生きる女の子たち。埃っぽい小さな工場、油っぽいビニールクロスのかかったラーメン屋、冬の冷たい乾燥した強い風、ブリーチをかけすぎて傷んだ髪、駅前の安スナックで執拗に繰り返されるセクハラ、折り合いの悪い家族。そんな世界がぎょっとするほど生々しい。短編の色合いは様々で、おとぎ話じみたものからSF、戯曲まである。その中でも底にずっと流れているのは限られた世界の中であがく女の子たちの苦闘。

 読み終わって打ちのめされたのは罪悪感ではない。なんか共感する気満々で読んだのに共感することが難しかったからだ。若い頃のワタシは家族の中に問題はあったけど、金銭面で苦しい思いをしたことがなかった。ワタシはバブル絶頂期に東京の私大に実家から通って、小遣いも十分に与えられていた。学校帰りに定期券で神保町に寄って古書店の100円ワゴンをあさったり、喫茶店でコーヒーを飲んだり、美術館に寄ったりする生活をしていた。つらいのは通学時間が長くて痴漢に遭遇することと講義が難しくて試験が憂鬱なこと、そして時折心をよぎる「ワタシはやはりレズというものなのだろうか」という暗い疑念、それくらいだった。親のお仕着せの服を着ていたワタシは文学少女のお嬢さんに見え、その質素だがお金のにおいのする姿に力のある父親の影をかぎとるせいか卑劣な男はワタシの前には立たなかった。

 ワタシが存在していそうだな、と感じたのは一編だけだった。「しずか・シグナル・シルエット」。ネタばれしない程度にどんな話かというと、阿佐ヶ谷のとある個人商店の店主の女性に恋をするレズビアンの話だ。阿佐ヶ谷はワタシの住んでるとこから二つ隣の駅。わりとレズビアンが住みがちなエリアである。で、この望み薄な恋をしている主人公、この短編集の中では例外的に地元脱出をうまくはかれて安定した職を得てるっぽい。が、おそらくやっぱり容姿はもっさりとしてあか抜けないタチだ。わりと文化的に近い人について類推するのは好きだ。主人公はたまには二丁目に行って、小さめのバーでちょっとカッコよくウイスキーを頼んだりするのだろうけど、酔っぱらってかなわぬ恋の話を頼んでもないのにボロボロしゃべり始めて、あいづち打つのも難しい、そんな風ではなかろうか。そんなカンジで読むのは楽しい。そして、そのバーの隅っこにはやっぱりワタシがいて、カウンターの中からママが「タスケテー」と目でサインを送ってくる。そんな夜。

 ワタシは勝手に「そんな夜」の共感を期待しちゃったし、なんなら都心のオフィスビルで恋に落ちる「そんな昼」も通勤に向かうホームで見かける女性の横顔を盗み見る「そんな朝」まで。

 「レズビアン」とくくっても、地域年齢社会階層容姿学歴趣味嗜好は様々で、いろんな人がいる。それは当たり前、当たり前のことなんだけど、頭の中からごろりと抜け落ちてしまうことがある。小説に限らず、文章でつづられるレズビアンの「お話」はなぜか社会階層高めの首都圏在住の人の話が多くなりがちだ。それは「語り手」がそういう人が多いから。その偏りはそのままレズビアンコミュニティの「言論」の偏りにもつながっている。

 と、あまりにも「社会的」に読んでしまったかもしれないが、出版されて2年以上経っているのにそのあたりのことに言及している人がワタシの見る限りではいなかったのが意外だった。読後、打ちのめされてから立ち直って思ったのが「これはプロレタリアート百合!」とか「レズビアンの『キャラメル工場から』!!」だったのです。

 その小説自体の生々しい鮮烈さや魅力には全く触れられなかったレビューですが、一読しておいた方がいいですよ。なんといっても、この短編群にはフィクションはあっても、「嘘」はありませんから。その鮮やかさがあるからこそ、曖昧な共感も嘘くさい連帯もワタシに許さず、そこにある「違い」をワタシに突き付けたのですから。