「ブス」という役割 その①

 ちょっと前に志村けんが亡くなったじゃないですか。それで、YouTubeに違法アップロードのコントが大量に出たのですが。ワタシは「8時だョ!全員集合」の全盛期にコドモ時代を送ったので、親が見せてくれなくてもまあ、懐かしいなと。その懐かしさにつられて観てみたのですが、まあひどい。特に研ナオコへのブスいじりひどすぎてみるに堪えないコントが多かった。ナオコいじりもつらいのですが、それを見させられている当時旬のタレントが死んだ顔で笑ってるのがまたつらい。そもそもナオコはブスじゃない。標準より目が離れてて口が大きいのですが、小顔で痩せててオシャレ! って、それは「個性」というものでは? と、やはり違法アップロード?の「夏をあきらめて」を聞く2020年の梅雨、鬼レズ51歳。

「ブス扱い」されてたから目がくもってましたが、今見ると個性的でステキだと思います

 「ブスいじり」は現在も続いていて女芸人と呼ばれる人たちは「いかにうまくいじられるか」を競っているようで(ワタシはテレビを見ない生活をしているので最前線のお笑い事情にはうといのですが)。個人の選択というのはそうなのですが、女性に「美人/ブス」の役割を振って処遇を露骨に変えるカルチャーはあまり良いもののように思えないのです。

 「役割」と書きましたが、美人はともかく「ブス」の役割ってそれを名付ける人の恣意で行われるもので、あんまり現実の美醜を反映してないと思うのですよ。「ブス扱い」されてる女芸人の顔見ても大してそんなにブスには思えないし、なにより人目にふれる仕事してるからあか抜けてますよね。人によってはわりと好みだったりします。うん。なにより、路上でナンパかなんか断られた男が悔しまぎれに「ブス!」とか捨て台詞吐くじゃないですか。さっきまで「ワンチャンあれば……」とか思ってた女性によく言うね! って話ですが。

 で、ブスでもない女をなぜブスと呼ぶかなのですが。これ、分断統治の一種なんだとワタシは理解しています。ナンパを断った女性を「ブス」と呼ぶように「生意気」とか「ものを言う女」が「ブス」と呼ばれがち。そして、あからさまに粗末に処遇する。逆に「美人」はチヤホヤされるのですが目の前でブスが粗末に扱われているのを見せつけられてるので声を出しづらい。と、わりと良くできたシステムですよね。人の容姿への好悪はわりとプライベート領域に属すののでパブリックに問題としづらいですし。(例としてフツ顔なのにブス呼ばわりされる女芸人のこととか書いちゃいましたが、逆にフツ顔もしくは微妙なのに美人扱いされる役回りの人もいますよね……)

 本質的にはあまり変わりばえしない人間を容姿(実は現実の容姿ではない)で分けて物を言わせない腐ったカルチャーであって、ワタシはこれを有害なものだと思うのですが。それでも研ナオコと志村けんの夫婦コントの「なまたまご~」を見るとひきつけ起こしたように笑ってしまうのです。ホントにワタシってダメだなぁと思いますねー。

 ここまでは「男って最低!」ということで済ませて楽になるのが定石ですが、まあ古いレズとしてはこのカルチャーがやっぱりレズビアンにも染み込んでしまっていることを次回書こうと思います。(つらい)